主催: 一般社団法人環境情報科学センター
p. 1-6
明治期半ばから発生した足尾、別子、日立の各銅山における公害は、日本で最初の大規模な公害問題と位置付けられる。しかしながら、各銅山で実施された公害対策は大きく異なっており、問題の経緯にも相違がみられる。公害・環境法制度が存在しなかったなどの当時の社会経済的状況をふまえた上で、銅山の取り組みに影響を与えたと考えられる要因として、各銅山における公害反対運動の方向性や要求、政府の銅山および反対運動への対応、銅山経営者の公害問題に対する姿勢などを取り上げて、比較検討を試みた。これらの要因には、銅山ごとに特徴的な相違がみられ、その相違が公害問題への取り組みに影響を与えたと考えられる。