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クエリ検索: "北海道札幌東高等学校"
6件中 1-6の結果を表示しています
  • 地理学論集
    2011年 86 巻 1 号 157-158
    発行日: 2011/12/31
    公開日: 2013/02/14
    ジャーナル フリー
  • 秋山 敏弘
    物理教育
    1981年 29 巻 4 号 304-306
    発行日: 1981/12/10
    公開日: 2017/02/10
    ジャーナル フリー
    高校1,2,3年生各90名に,昨年実施された公立高等学校入学者選抜学力テストの理科の問題の解答を求めた.この成績を,この高校を志願して入試を受験した中学3年生の成績(入試の選考資料)と比較した.問題の数は物理,化学,生物,地学の領域から各2問ずつ,計8問であったが,どの領域に対しても最も高い正答率を与えたのは中学生または高校入学直後の1年生であって以下2年,3年と学年が進むにつれ低いそれを与えたという結果を得た.中でもこの傾向が最も顕著であったのが地学であり,それに続くものが物理であった.
  • 地理学論集
    2011年 86 巻 1 号 153-156
    発行日: 2011/12/31
    公開日: 2013/02/14
    ジャーナル フリー
  • 地理学論集
    2009年 84 巻 1 号 123-126
    発行日: 2009/07/31
    公開日: 2012/11/15
    ジャーナル フリー
  • 北川 ケイ
    日本家政学会誌
    2024年 75 巻 4 号 158-169
    発行日: 2024年
    公開日: 2024/04/27
    ジャーナル フリー

     明治20年に, 駒木根寛一郎が著した, 『図入毛糸編物法』駿々堂P55~58にある「朝顔の編み法」の詳細な挿絵から, 制作された編造花が神戸の柳陰書院で初めて展示された. 編造花だけではなく, 果実を盛る籠や, 明治日本の風習である花籠も考案されていた. 明治21年毛糸染色が発明されて更に自由に創意工夫が出来る編造花は, 毛糸が売り切れになるほど流行していった. 特に花鳥のデザインに関しては意匠登録する者もいたほどであった. そして, 涎掛け, 守袋, 帽子等の和装小物に花のモチーフや飾りなどに編んで製作していくことで, 布造花より一般内職の職業としても確立されていたのだった. 編造花で培われた創意工夫と技術は, 明治中期以降に, 手工業が産業に押されても, 乗り越える糧を生み出していた. 本稿は, 編物の教本だけではなく, 職業案内や雑誌から, 編造花が発展させた普及状況や女性自立の職業への展開, 日本古来の造花との比較等その周辺文化にも着目した日本の明治期の編造花の歴史をまとめたものである.

  • 札幌区東北尋常小学校訓導山口庸矩の論文
    根山 梓
    美術教育学:美術科教育学会誌
    2018年 39 巻 223-236
    発行日: 2018年
    公開日: 2020/04/02
    ジャーナル フリー
    本論文は,自由画教育運動が展開する前の北海道における図画教育現場の状況を明らかにするための手掛かりを得ることを目的とし,大正2年(1913)に北海道師範学校を卒業した山口庸つね矩のりが,札幌区東北尋常小学校訓導として道内の教育雑誌に投稿した五編の論文に基づき,次の二点を確認するものである。 (1)大正6年(1917)に『北海之教育』に掲載される四編の論文と,大正9年(1920)10月に『北海道教育』に掲載される論文には,臨画に偏る図画教育のあり方を問題視する山口の姿勢があらわれている。 (2)山口は札幌が採用していた国定教科書『尋常小学新定画帖』について,「編纂の精神」と教科書自体を分けて考えていた。山口は五編において一貫して同書の「編纂の精神」すなわち教育的図画の概念を,教授の準拠としているが,その解釈に難しさを感じている。教科書自体については,大正6年(1917)の時点で,扱いづらさを感じている。
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