明治20年に, 駒木根寛一郎が著した, 『図入毛糸編物法』駿々堂P55~58にある「朝顔の編み法」の詳細な挿絵から, 制作された編造花が神戸の柳陰書院で初めて展示された. 編造花だけではなく, 果実を盛る籠や, 明治日本の風習である花籠も考案されていた. 明治21年毛糸染色が発明されて更に自由に創意工夫が出来る編造花は, 毛糸が売り切れになるほど流行していった. 特に花鳥のデザインに関しては意匠登録する者もいたほどであった. そして, 涎掛け, 守袋, 帽子等の和装小物に花のモチーフや飾りなどに編んで製作していくことで, 布造花より一般内職の職業としても確立されていたのだった. 編造花で培われた創意工夫と技術は, 明治中期以降に, 手工業が産業に押されても, 乗り越える糧を生み出していた. 本稿は, 編物の教本だけではなく, 職業案内や雑誌から, 編造花が発展させた普及状況や女性自立の職業への展開, 日本古来の造花との比較等その周辺文化にも着目した日本の明治期の編造花の歴史をまとめたものである.
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