量子コンピュータは,量子もつれや重ね合わせといった量子力学的な原理を用いて計算を行う新原理のコンピュータである.現在では商業的にも実機が利用可能となり,一般社会においても認知されつつあるが,実用的な課題を解決できる性能は得られていない.その最大の障害は,量子情報が本質的に環境雑音などによる誤りに弱く,大規模な量子コンピュータにおいては計算結果が雑音に埋もれてしまう問題である.そのため実用的な量子コンピュータでは,量子誤り訂正と呼ばれる誤りを検出および訂正しつつ量子計算を行う仕組みが必須であると考えられている.量子誤り訂正では,計算に用いる量子ビットよりも多くの補助量子ビットが必要となるため,現実的には100万という膨大な数の量子ビットが必要であると言われている.しかし,現在最も研究が先行している超伝導回路やイオントラップなどの物理系においても,この目標からはほど遠い.
そこで我々は,集積可能な物理系として最もよく知られる半導体デバイスを用いた量子コンピュータの研究を行っている.半導体量子コンピュータでは,ゲート定義型量子ドットと呼ばれる,微細加工によって作製したゲート電極によって単一の電子を閉じ込めることのできる構造を用いる.単一電子の持つスピン1/2自由度は,最も典型的な量子力学的な2準位系であり,量子ビット実装のために必要な数々の性質を持つ.まず,スピンは磁気的な自由度のため,半導体環境中で最も大きな問題である電荷雑音に対して鈍感であり,長いコヒーレンス時間を持つ.加えて,ゲート定義型量子ドットの閉じ込めポテンシャルは電気的に制御可能であるため,高速かつ柔軟に量子ビット操作に必要なパラメータを制御することで,量子コンピュータにおいて重要な単一量子ビット操作や2量子ビット操作を実装することができる.
本研究では,特に産業的な半導体製造技術と高い整合性を持つSiを母材とする半導体量子ビットを用いた.これまでの半導体量子ビットの研究では量子誤り訂正の実現に必須であるとされる,99%以上の操作忠実度を超える2量子ビット操作は困難であった.我々の研究では,試料構造およびスピン操作方法を最適化することで,従来の報告例に対して10倍操作を高速化し,99%以上の操作忠実度を持つユニバーサル量子操作を実現した.続けて,3量子ビット試料においても高忠実なユニバーサル量子操作を実現し,3量子ビット最大もつれ状態の生成に成功した.この状態は,3量子ビットを用いた最も基本的な量子誤り訂正の実行に有用である.この誤り訂正では,1量子ビットに対して2つの補助量子ビットを用いて3量子ビットもつれ状態に符号化し,もつれ生成と逆操作を行うと,補助量子ビットの状態が誤りの情報を反映して異なることを利用し訂正を実行する.我々は補助量子ビットの状態に応じてデータ量子ビットの回転を行う3量子ビット操作を用いることで訂正部分を実現し,量子誤り訂正の原理検証に成功した.これらの研究によって,半導体量子ビットの基本動作を確立することができたといえる.本研究を受けて,今後は集積技術を用いた誤り耐性半導体量子コンピュータ実現のための大規模化に向けた研究開発が一段と進むことが期待される.
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