茂住鉱は岐阜県の最北端, 吉城郡神岡町東茂住に位置する銀・鉛・亜鉛の鉱山である。当鉱発見の時代は詳らかでないが一説には養老年間 (約1200年前) といわれ, 天正年間 (約400年前) に鉱山奉行茂住宗貞により大々的に開発され盛んに金・銀・鉛を採掘したと伝えられている。明治7年三井の所有となり, 昭和25年三井鉱山から分離独立し, 三井金属鉱業 (株) 神岡鉱業所茂住鉱として今日に至つている。
茂住鉱の特色は鉱床規模が小さく緩傾斜 (45°~70°) で複雑な形をしているが比較的高品位 (Zn7~8%) である。採掘はほとんど通洞地並以上で行なつており, 自然条件を生かした重力による運搬系統, 自然排水, 自然通気を主力にしている。最近では通洞地並以下に重点をおき, その開発を行なつている。採鉱法は鉱床条件と上・下盤が脆弱であることからカットアンドフィル法を主力にしており, 種々の採鉱法の改善, 大型機械化, トラックレス化の全面的拡大によつて高能率な操業を行なつていることである。
昭和40年以降, 主な技術改善は運搬系統の合理化, 圧縮空気の高圧化, 坑内作業の機械化, 大型機械の導入とトラックレス化の拡大等である。採鉱法においてはメカナイズドカットアンドフィル法 (上向穿孔方式), 傾斜密充填採鉱法の開発, 近年はトラックレス化の拡大に伴つて密充填採鉱法 (水平穿孔方式) の確立で全ての鉱床を安全かつ高能率に採掘できるようになつた。
一方粗鉱生産量は新鉱床の発見と既知鉱床の下部延長の確認を背景として逐次増産し昭和50年には1, 800t/日を達成した。しかし53年には亜鉛の需要不振, 金属建値の暴落により粗鉱生産量1, 200t/日への減産と人員合理化を実施し今日に至つている。
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