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クエリ検索: "在日朝鮮統一民主戦線"
6件中 1-6の結果を表示しています
  • 朴 一
    アジア研究
    2015年 61 巻 2 号 15-19
    発行日: 2015/06/30
    公開日: 2015/07/07
    ジャーナル フリー
  • 高 榮蘭
    日本文学
    2007年 56 巻 1 号 31-42
    発行日: 2007/01/10
    公開日: 2017/08/01
    ジャーナル フリー
    一九五〇年前後、作家「金達寿」と「許南麒」は、日米講和条約への反対運動の言説の中で日本の「国民・民族」文学として高く評価される。それは、金と許が日本の革命運動の優先を語る言説と交錯している。この現象を、「日本人」対「朝鮮人」の民族単位の連帯として語る現在の枠組みは、一九五〇年前後のSCAP(アメリカ)への対抗を共通の基盤として持っていた「共闘」の言説について、歴史的な過程を見すえることなく、「抵抗する主体・共闘する主体」のみを浮上させることになる。本論では、そのことの危険性について議論した。
  • 戦後神戸におけるヤミ市と市街地形成に関する史的研究
    村上 しほり
    日本建築学会計画系論文集
    2013年 78 巻 693 号 2433-2438
    発行日: 2013/11/30
    公開日: 2014/07/10
    ジャーナル フリー
    The railroad viaduct remained unburned in the city area burnt to the ground by Great Kobe Air Raids. People of war damage gathered at the railroad underpass before the end of the war, and the food street vendor appeared after the end of the war. Merchants increased rapidly and have begun to build the temporary shelter of the house and the store. They formed a mall while develop a fight for right before long. From August to October in 1946, an organization called the association of Korean free merchants built the mall called the Sannomiya “international market” at the Sannomiya east district. In this study, I examine the formation and the transformation process of the new mall the “international market” formed by the black market's movement.
  • 宮沢 剛
    日本文学
    1999年 48 巻 1 号 42-53
    発行日: 1999/01/10
    公開日: 2017/08/01
    ジャーナル フリー
    あえて日本人読者と自己規定するところから論を始めている。そうすることで、読者主人公相俊(サンジユニ)との間に葛藤が生まれること、相俊の<朝鮮人になる>という行動の背景には当時の<日本人>の民族主義的傾斜があることなどが見えてくる。そして、均質な<朝鮮人>になりきれず複数の<自己>を同時に生きる相俊に呼応するように、読者も様々な<自己>を開いていき、日本人読者という自己規定も相対化されていく状況を捉えている。
  • 冷戦下の「移民的帰還」を促した報道内容の分析
    菊池 嘉晃
    移民研究年報
    2022年 28 巻 47-62
    発行日: 2022/06/25
    公開日: 2024/06/30
    ジャーナル オープンアクセス
    1959年から1984年にかけて、在日コリアンと日本人配偶者ら9万3340人が日朝両赤十字の帰国事業により日本から朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)へ渡った。在日コリアンの約 97%は朝鮮半島南部の出身であり、資本主義国家の日本に住む彼らが朝鮮半島北側の社会主義国家へ移住したことは、「移民的帰還」と称しうるものであった。本稿は、冷戦下に帰国事業を成立させた客観的条件と、彼らの帰国を促した北朝鮮に関する「情報」について考察する。北朝鮮に渡った人々の多くが現地で円滑な適応に失敗したとされるが、その原因として、「地上の楽園」というフレーズに代表される、北朝鮮が発信した情報、宣伝の「虚構性」が指摘されている。北朝鮮の情報・宣伝を日本に伝えた在日本朝鮮人総聯合会(朝鮮総連)の機関紙と日本のメディアに焦点を当て、両者の報道内容を比較し、それぞれの特徴と、北朝鮮への移住意思の形成に与えた影響について検証する。
  • 「在日朝鮮美術会」を中心に
    白 凛
    年報カルチュラル・スタディーズ
    2017年 5 巻 137-
    発行日: 2017年
    公開日: 2019/10/09
    ジャーナル フリー
    本稿は50 年代の在日朝鮮人美術家の活動の背景に焦点をあて、彼らの美術作品やグルー プがいかなるものであったかを明らかにするものである。特に在日朝鮮人美術家が組織し た初めての本格的なグループである「在日朝鮮美術会」に着目した。冒頭では、これにつ いてこれまで直接的に論じたものがなく本稿で初めて扱うことになるため二つの留意点を 述べたうえで本稿の目的を述べた。第一章では調査状況について述べた。第一節では美術 作品の調査について美術館や博物館、個人蔵のものも含めこれらの管理状況に触れた。第 二節ではこれまでに発掘した一次史料、第三節では聞き取り調査について、それぞれ本稿 で扱う史料を中心に簡潔に述べた。中心となる第二章では1950 年代の彼らの活動について いくつかの事例を挙げて論じた。第一節では美術家たちが個別の経験を積んでいた1940 年 代終盤から1953 年までの活動を整理した。第二節では在日朝鮮美術会の結成を後押しした 金昌徳を中心とした美術家たちの活動について述べた。第三節では彼らの表現方法につい て白玲の制作を中心に論じ、続く第四節では彼らのテーマ制作について一次史料をもとに 分析した。50 年代の彼らの作品は、いかに描くべきか、何を描くべきかについての模索の 末に生まれたことを明らかにした。第三章では、彼らの作品の発表の場と反響について述 べた。第一節では「日本アンデパンダン展」、第二節では「日朝友好展」、第三節では「連立展」 を取り上げた。最終章では、本稿でとりあげた在日朝鮮人美術家が、植民地や戦争に人生 を翻弄されたという共通の境遇と、解放民族として堂々と生き表現したいという共通の希 求を持っており、朝鮮人美術家としていかに生き表現するかについての答えを共に模索す る美術家が必要であった点を明らかにし、ここに集団の必然性があると結論付けた。最後 に今後の課題を提示した。
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