詳細検索結果
以下の条件での結果を表示する: 検索条件を変更
クエリ検索: "在日本朝鮮人総聯合会"
28件中 1-20の結果を表示しています
  • 椿(高) 知恵
    国際保健医療
    2013年 28 巻 4 号 317-325
    発行日: 2013/12/20
    公開日: 2014/01/14
    ジャーナル フリー
    目的
    保健室が設置されておらず養護教諭が常駐していない朝鮮初級学校に子どもを通わせる保護者の、家庭での性に関する教育の実施状況と学校での性教育へのニーズを明らかにし、朝鮮学校に通う生徒の特徴を踏まえた系統だった初級学校での性教育に向けての基礎的な資料を得ることを目的とする。
    方法
    大阪、京都の朝鮮初級学校の4、5、6年に子どもが在籍している保護者を対象に、無記名自記式質問紙調査を行った。調査期間は2012年6月~11月、調査内容は属性、家庭での性に関する教育の必要性と実施状況、学校での性教育の必要性、などの計20項目である。
    結果
    質問紙は8校の初級学校で289部配布し、回収数49部(回収率17.0%)、有効回答45部(有効回答率15.6%)であった。家庭での性に関する教育を「必要」だと回答した者は42名(93.4%)で、実施すべき時期は「中学」が27名(64.3%)と最多で、次いで「小学6年」19名(45.2%)であった。家庭で必要な性に関する教育の内容は「生命の大切さ」28名(62.2%)、「男女の体の違い」26名(57.7%)が多かった。家庭での性に関する教育実施状況は「実施している」17名(37.7%)、「実施していない」27名(60.1%)であり、実施している者17名の実施時期では「小学4年」が8名(47.0%)、内容では「男女の体の違い」12名(70.6%)が最も多かった。学校での性教育の必要性は45名全員が「必要」と回答しており、適していると考える学校での性教育実施時期は、「小学6年」25名(55.5%)が最も多く、希望する内容は「男女のからだの違い」41名(91.1%)や「生命の大切さ」33名(73.3%)が多かった。希望する性教育実施者は外部講師(看護師、保健師、助産師)が42名(93.3%)で最多であった。
    結論
    家庭での性に関する教育は「必要」だと考える保護者が多いにも関わらず、実施できているものは少ないという本調査の結果から、子ども達が性についての正しい知識を持ち、自分を守るためには、学校での性教育が重要な位置を占めると言える。朝鮮初級学校では、看護師・助産師などの外部の医療専門職者による教育が求められていること、教員や保護者からの在日医療人への期待が大きいことなどから、このテーマにおける在日韓国・朝鮮人医療専門職者の役割は大きいと考えられた。
  • 冷戦下の「移民的帰還」を促した報道内容の分析
    菊池 嘉晃
    移民研究年報
    2022年 28 巻 47-62
    発行日: 2022/06/25
    公開日: 2024/06/30
    ジャーナル オープンアクセス
    1959年から1984年にかけて、在日コリアンと日本人配偶者ら9万3340人が日朝両赤十字の帰国事業により日本から朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)へ渡った。在日コリアンの約 97%は朝鮮半島南部の出身であり、資本主義国家の日本に住む彼らが朝鮮半島北側の社会主義国家へ移住したことは、「移民的帰還」と称しうるものであった。本稿は、冷戦下に帰国事業を成立させた客観的条件と、彼らの帰国を促した北朝鮮に関する「情報」について考察する。北朝鮮に渡った人々の多くが現地で円滑な適応に失敗したとされるが、その原因として、「地上の楽園」というフレーズに代表される、北朝鮮が発信した情報、宣伝の「虚構性」が指摘されている。北朝鮮の情報・宣伝を日本に伝えた
    在日本朝鮮人総聯合会
    (朝鮮総連)の機関紙と日本のメディアに焦点を当て、両者の報道内容を比較し、それぞれの特徴と、北朝鮮への移住意思の形成に与えた影響について検証する。
  • 戦後神戸におけるヤミ市と市街地形成に関する史的研究
    村上 しほり
    日本建築学会計画系論文集
    2013年 78 巻 693 号 2433-2438
    発行日: 2013/11/30
    公開日: 2014/07/10
    ジャーナル フリー
    The railroad viaduct remained unburned in the city area burnt to the ground by Great Kobe Air Raids. People of war damage gathered at the railroad underpass before the end of the war, and the food street vendor appeared after the end of the war. Merchants increased rapidly and have begun to build the temporary shelter of the house and the store. They formed a mall while develop a fight for right before long. From August to October in 1946, an organization called the association of Korean free merchants built the mall called the Sannomiya “international market” at the Sannomiya east district. In this study, I examine the formation and the transformation process of the new mall the “international market” formed by the black market's movement.
  • 申 昌沫
    社会言語科学
    2000年 3 巻 1 号 39-42
    発行日: 2000/12/31
    公開日: 2017/04/27
    ジャーナル フリー
  • 祭りの罪と社会学の責め
    芦田 徹郎
    ソシオロジ
    1993年 37 巻 3 号 169-177
    発行日: 1993/02/28
    公開日: 2017/02/15
    ジャーナル フリー
  • 知泉書館 2008年 xviii+325ページ
    尾高 煌之助
    アジア経済
    2009年 50 巻 4 号 51-55
    発行日: 2009/04/15
    公開日: 2022/11/02
    ジャーナル フリー
  • 中島 智子
    教育学研究
    2020年 87 巻 2 号 249-251
    発行日: 2020年
    公開日: 2020/09/30
    ジャーナル フリー
  • (作品社、二○○七年)
    中根 隆行
    比較文学
    2009年 51 巻 130-134
    発行日: 2009/03/31
    公開日: 2017/06/17
    ジャーナル フリー
  • 朴 校煕
    全国大学国語教育学会国語科教育研究:大会研究発表要旨集
    2002年 102 巻
    発行日: 2002/05/25
    公開日: 2020/07/15
    会議録・要旨集 フリー
  • ――朝鮮学校のオモニ会にみられる女性の〈生きる方法〉――
    金 汝卿
    ソシオロジ
    2020年 65 巻 1 号 23-39
    発行日: 2020/06/01
    公開日: 2024/07/10
    ジャーナル フリー

    本稿では、朝鮮学校の女性保護者組織であるオモニ会を対象に、エスニシティとジェンダーをめぐる複合的な不平等状況を生み出す社会構造のなかにおいて、積極的に生を営む母親たちの実践に着目する。インタビューと参与観察を通して得られた具体的なオモニ会活動の事例から、朝鮮学校の母親たちのエイジェンシーの在処を問う。 朝鮮学校は現在にいたるまで、制度的、社会的差別の対象となっている。このような状況において、朝鮮学校を存続させる上で、保護者は学校を支える中心的な役割を果たしている。とくに母親たちは、オモニ会の活動を通じて朝鮮学校の生活面から財政的な面まで支えている。このような活動を母親が担うようになったのは、性別役割分業による育児の延長線上に位置づけられたためである。しかし、オモニ会の活動には朝鮮学校の母親というポジションを用いて、差別を生み出す社会構造を共に生き抜く方法にしてきた側面もある。 たとえば、オモニ会は結成当時から民族団体や朝鮮学校と水平的な関係を保ちながら、自律性を維持してきた。何かの問題が生じると学校に責任を問うよりは、自分たちで解決をはかる。オモニ会の母親たちは活動を行う際に、朝鮮学校の他の子も自分の子どものように考える「ウリアイ」の価値観を共有し、あらゆる活動の場面で「笑う」ことで雰囲気を和らげる。オモニ会の活動は、朝鮮学校の母親たちが在日朝鮮人であり、母親である自分の生活を改善するためでもある。これが些細な変化を呼び起こすこともある。 このような取り組みは、複合的な差別を生み出す社会構造のなかで日常を生き抜くための、彼女たちの生活史から身についた〈生きる方法〉だといえる。

  • ――民族経済化、経済的同化、アンダークラス化――
    鄭 康烈
    ソシオロジ
    2021年 65 巻 3 号 21-38
    発行日: 2021/02/01
    公開日: 2024/07/10
    ジャーナル フリー

    移民の受入れ社会における職業的地位達成に関する分析は、日本における外国人をめぐる問題、あるいは人種やエスニシティにもとづく社会的不平等を考察するうえで欠かせない作業である。日本で長い定住の歴史をもつ在日コリアンの場合、日本企業による就職差別の緩和、同胞の雇用機会を支えてきた民族経済の衰退、近年の労働市場の分極化といった大きな流れを背景に、かれらの職業的地位が経済的同化、民族経済化、アンダークラス化の三つに分岐することが論じられてきた。本論の目的は、こうした在日コリアンの職業的地位の分岐がいかに生じるのかのメカニズムを実証することにある。 本論における分析は、移民の受入れ社会への「適応」について扱ってきた米国の研究の蓄積を参照しつつ行われる。 その際、在日コリアンの職業的地位を分岐させる要因としてとりわけ注目するのは、「資本の貯蔵庫」としての家族である。つまり本論では、在日コリアンの日本での職業的地位達成プロセスの分岐が、それぞれの在日コリアン家族にみられる経済的あるいは社会的資源の布置構造の差異から説明されることになる。 当事者への聴き取りデータの分析から、在日コリアンの経済的同化、民族経済化、アンダークラス化を引き起こすエスニックな社会関係資本、経済資本、文化・人的資本といった諸資本の様々な組み合わせが明らかとなった。本論の成果は、現代における在日コリアンの職業的地位達成のメカニズムをエスニック集団内部の差異にも目を向けつつ広く論じた点、さらにはそうした作業を通じ、日本社会における移民の適応というテーマについての検討を、定住歴の相対的に長い在日コリアンの事例の分析を通じて一歩進めた点にあるといえる。

  • 李 洪章
    日本オーラル・ヒストリー研究
    2010年 6 巻 57-65
    発行日: 2010/09/12
    公開日: 2018/12/10
    ジャーナル フリー
    In this article 'I' as an involved party among the Korean residents in Japan or from the records of my struggle experienced as a researcher refer to how I have been seeking my positionality through the relationships with my clients who are born to a parent of a Korean resident in Japan and a Japanese, a so-called "double." As a Korean resident in Japan, 'I' have been thinking about all the strangeness I had felt, including the strangeness to the sense of "the person concerned" which the community of the Korean residents in Japan that I also belong to, premises in the strangeness of the clients' way of talking or the strangeness of the "research of the person concerned." Currently 'I' believe that only by talking, not on the basis of being as an involved person but of "the individual person concerned," I can build a dialogical relationships with my clients, and furthermore, only by continuing the attitude against that of just "writing papers" that may function to open the dialogical channel with the readers.
  • 伊地知 紀子
    フォーラム現代社会学
    2018年 17 巻 127-136
    発行日: 2018年
    公開日: 2019/05/11
    ジャーナル フリー

    本シンポジウムのテーマである「歴史経験の語られ方、記憶のされ方」について、済州4・3を事例として報告した。済州4・3をめぐる語りは、語り手である個人、その家族あるいは親戚姻戚が何をしていたのか、どこにいたのか、どのように犠牲となったかといった事件当時だけではなく、事件後にこれらの人びとがどこでどのように暮らしたのかによっても規定される。他二本の報告は、東北大震災(金菱報告)と三池炭鉱報告(松浦報告)であった。各報告と合わせて議論することにより、歴史経験の語られ方、記憶のされ方についての論点として気づいたことがある。それは、歴史経験や記憶を開いていく場をどのように設定するのか、別の表現をとるとすればpublic memoryの時間軸をどう設定するのか、空間をどこまで広げるのか、つまりpublicと形容する時どのような枠組みを前提として論ずるのかということだ。この問いは、ある地域のある時期における歴史経験が、後の生活にいかなる影響を及ぼすのかという視点を複眼的に置くことなくしては深めることが困難なものである。この気づきを踏まえて、済州4・3とはいかなる歴史経験であり、体験者や遺族などがどのように語り、さらに済州4・3から何を語りうるのか、本稿は在日済州島出身者の生活史調査からの試論である。

  • 「在日朝鮮美術会」を中心に
    白 凛
    年報カルチュラル・スタディーズ
    2017年 5 巻 137-
    発行日: 2017年
    公開日: 2019/10/09
    ジャーナル フリー
    本稿は50 年代の在日朝鮮人美術家の活動の背景に焦点をあて、彼らの美術作品やグルー プがいかなるものであったかを明らかにするものである。特に在日朝鮮人美術家が組織し た初めての本格的なグループである「在日朝鮮美術会」に着目した。冒頭では、これにつ いてこれまで直接的に論じたものがなく本稿で初めて扱うことになるため二つの留意点を 述べたうえで本稿の目的を述べた。第一章では調査状況について述べた。第一節では美術 作品の調査について美術館や博物館、個人蔵のものも含めこれらの管理状況に触れた。第 二節ではこれまでに発掘した一次史料、第三節では聞き取り調査について、それぞれ本稿 で扱う史料を中心に簡潔に述べた。中心となる第二章では1950 年代の彼らの活動について いくつかの事例を挙げて論じた。第一節では美術家たちが個別の経験を積んでいた1940 年 代終盤から1953 年までの活動を整理した。第二節では在日朝鮮美術会の結成を後押しした 金昌徳を中心とした美術家たちの活動について述べた。第三節では彼らの表現方法につい て白玲の制作を中心に論じ、続く第四節では彼らのテーマ制作について一次史料をもとに 分析した。50 年代の彼らの作品は、いかに描くべきか、何を描くべきかについての模索の 末に生まれたことを明らかにした。第三章では、彼らの作品の発表の場と反響について述 べた。第一節では「日本アンデパンダン展」、第二節では「日朝友好展」、第三節では「連立展」 を取り上げた。最終章では、本稿でとりあげた在日朝鮮人美術家が、植民地や戦争に人生 を翻弄されたという共通の境遇と、解放民族として堂々と生き表現したいという共通の希 求を持っており、朝鮮人美術家としていかに生き表現するかについての答えを共に模索す る美術家が必要であった点を明らかにし、ここに集団の必然性があると結論付けた。最後 に今後の課題を提示した。
  • Visočnik Nataša
    Japanese Review of Cultural Anthropology
    2019年 20 巻 1 号 207-245
    発行日: 2019年
    公開日: 2020/05/28
    ジャーナル オープンアクセス

    In recent years, an increasing number of immigrants, together with greater pressure on the state from both outside and within to recognise the diversity of its society, have caused a shift in public and academic attention from the idea of Japan as an ethnically homogenous nation to the concept of a 'multicultural Japan'. This paper explores the emergence of the notion of 'multicultural coexistence' and focuses on the assimilation of foreigners in Japan. In the foreground of this endeavour, the country's Korean minority has struggled to be included in Japanese society through different types of civic groups and neighbourhood associations. A machizukuri process in Higashi Kujo (an area around Kujo Street) in the city of Kyoto, as well as the Madang Festival, are presented along with the details of their organization, revealing the multiple meanings of this process and festival, respectively. Through a close look at these cases, the article shows how different groups of people work together to make their society a shared and diverse community.

  • 大川 一夫
    法政論叢
    2023年 59 巻 1 号 131-
    発行日: 2023年
    公開日: 2023/12/15
    ジャーナル フリー
  • 「国際親善展覧館」の展示を手がかりにして
    高林 敏之
    アフリカ研究
    2010年 2010 巻 76 号 31-38
    発行日: 2010/03/31
    公開日: 2013/10/20
    ジャーナル フリー
    本稿は,日本にとって最も近い隣国でありながら,ほとんど研究がなされていない朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の対アフリカ関係に関する試論である。その特異な国家体制ゆえに,また日本を含む先進諸国との疎遠ないし敵対的な関係ゆえに,北朝鮮は「国際社会において孤立した国家」であるといった安易なイメージで捉えられがちである。しかしながら北朝鮮は,「第三世界」の一員として,国際社会において一定の地位を確保してきた。とりわけ,北朝鮮と最も緊密な関係を築き,同国外交における最有力の基盤であったアフリカとの関係を分析することは,北朝鮮外交をより実際的に理解するうえで有益であろう。しかしながら,北朝鮮の極度に独裁的かつ閉鎖的な体制ゆえに,同国の外交について実証的に研究するのは容易なことではない。本稿ではまず,筆者が2007年および2008年に訪問した,同国妙香山に立地する「国際親善展覧館」における,アフリカ諸国と北朝鮮との関係に関する展示内容について紹介する。その展示内容から,北朝鮮が対アフリカ外交政策において,「新家産主義」的ないし「個人支配」的権威主義体制,さらに民族解放運動との緊密な関係を重視していたことが読み取れよう。次に北朝鮮の対アフリカ関係の発展を4期に区分して概観し,その盛衰の背後にある要因を検証する。
  • 山本 かほり
    西日本社会学会年報
    2022年 19.20 巻 23-33
    発行日: 2022年
    公開日: 2023/03/31
    ジャーナル フリー
  • ——「在日」の「在日化」を分析する概念枠組みの構築に向けて——
    金 知榮
    年報社会学論集
    2012年 2012 巻 25 号 49-60
    発行日: 2012/09/10
    公開日: 2015/06/12
    ジャーナル フリー
    This paper aims to delve into the process of the “Zainichization” of “Zainichi Koreans” in the 1980s through the problem of employment as a “Zainichi Korean.” The reason why I focus on the issue of employment is that it is an important factor for the second generation of “Zainichi Koreans” to live in Japan as a permanent resident. It is also an indicator of integration into Japanese society. To analyze the employment problem, I used interview data and articles from famous “Zainichi Koreans” magazines such as the “Sanzenri” and “Uri-seikatsu” which were published in 1980s. I scrutinized this data into the two aspects of “personal effort” and “generation gap.” The most definite finding of this study is that attempting to get a job was not only an “individual practice” for “Zainichi Koreans” but also a “structural practice” which helped to build a bridge between Japanese society and “Zainichi Koreans.”
  • 橋本 みゆき
    年報社会学論集
    2005年 2005 巻 18 号 101-112
    発行日: 2005/08/05
    公開日: 2010/04/21
    ジャーナル フリー
    In this paper, I examine the relationship between spouse selection and the issue of ethnicity for Korean residents in Japan through analysis of the readers' columns about the ‘marriage problem’ found in Toitsunippo (Unification Daily). This analysis shows that spouse selection was not oriented to an individualism but rather to strengthening a new ideology of the family. While endogamy within the Korean residents in Japan is actually on the decline, this is related through a reconstruction of family and ethnicity.
feedback
Top