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クエリ検索: "坂本幸四郎"
5件中 1-5の結果を表示しています
  • 鷺 只雄
    昭和文学研究
    1999年 38 巻 157-159
    発行日: 1999/03/01
    公開日: 2023/05/15
    ジャーナル フリー
  • -長崎・神戸・横浜の重要文化財を中心として
    外波山 理恵, 佐藤 仁人
    日本建築学会技術報告集
    2008年 14 巻 27 号 183-186
    発行日: 2008/06/20
    公開日: 2009/02/13
    ジャーナル フリー
    This investigation was conducted for the purpose of clarifying the tendency of the indoor color of the Western-style houses, mainly in the important cultural property specified in Nagasaki, Kobe, and Yokohama.
    The findings are stated as follows.
    1) Walls and Ceilings are mainly finished with high-brightness and low-chroma plaster, or with plaster and wallpapers of pastel color.
    2) Flooring are made of wood or put down a carpet in low-brightness tone.
    3) Skirtings are stained in dark tone or painted in light beige and light green.
    4) Many kind of colors are used in the Western-style houses, as many kind of styles and designs are used.
    5) These tendencies are similar to those of the present.
  • —三木清の「哲學的人間學」と根岸川柳の「哲學的川柳」をめぐって—
    平 辰彦
    北里大学一般教育紀要
    2022年 27 巻 31-50
    発行日: 2022/03/30
    公開日: 2022/07/05
    研究報告書・技術報告書 フリー
     本稿はブレーズ・パスカル(1623-1662)の「考える葦」の哲学が根岸川柳(1888-1977)の『根岸川柳作品集 考える葦』にどのような影響を与えたかを三木清の『パスカルに於ける人間の研究』を通して比較文学の視座から考察したものである。パスカルの本格的な日本受容は1924年6月、三木清(1897-1945)の『パスカルに於ける人間の研究』(岩波書店)によって始まる。これは哲学者・三木清の処女出版である。この書が出るまで日本では、パスカルは哲学史に重要な地位を与えられていなかったが、この書に刺激され、出版された数年後には、パスカルについての翻訳や研究論文が相次いで発表され、ついに今日のような研究の隆盛を見るに至った。今日では、パスカルの『パンセ』は多くの人々が知る哲学書となり、「人間は考える葦である」という有名な言葉は広く人口に膾炙している。その意味で三木清の著作はパスカルの日本受容を考える上で重要な哲学書であるといえる。
     戦後はじめて川柳宗家となった14世川柳 根岸川柳は1959年10月に『根岸川柳作品集 考える葦』(根岸川柳作品集刊行会)を刊行する。この根岸川柳作品集の書名である「考える葦」はパスカルの『パンセ』から採られたものである。根岸川柳はパスカルの『パンセ』を、そして、三木清の『パスカルに於ける人間の研究』を読み、「人間諷詠」の川柳という短詩文芸を「哲學的」に探究、「哲學的川柳」を創造するようになったと考えられる。
     本論稿では根岸川柳作品集の「哲學的川柳」を通して三木清の「哲學的人間學」が、川柳という短詩文芸にどのように取り入れられたかを比較考察する。
  • 在田 正義
    日本造船学会誌
    1984年 662 巻 453-460
    発行日: 1984年
    公開日: 2018/03/30
    解説誌・一般情報誌 フリー
  • ――時局の中の川柳と俳句――
    田部 知季
    日本近代文学
    2018年 99 巻 33-48
    発行日: 2018/11/15
    公開日: 2019/11/15
    ジャーナル フリー

    本稿では、従来看過されてきた短詩形文学と日露戦争の関わりを、井上剣花坊と河東碧梧桐の動向に即して検証した。剣花坊の川柳革新は『日本』の「新題柳樽」欄を舞台に展開し、戦争の時流に乗って躍進する。その中で彼は既存の「文学」に欠ける「滑稽趣味」を拠り所に、川柳というジャンルを「興国的文学」として価値づけた。一方、戦時下の俳壇では国威発揚を企図した「武装俳句」が試みられるも、実作上の成果を得られずにいた。他方、従軍の計画が頓挫した碧梧桐は、安易に俳句を戦争と結びつけることなく、自立的な「文学」としての俳句像を堅持した。彼はそうした反動の延長線上で全国行脚へ乗り出し、新傾向俳句を鼓吹することとなる。

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