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クエリ検索: "埼玉県立上尾南高等学校"
6件中 1-6の結果を表示しています
  • 大下 広司
    物理教育
    2020年 68 巻 4 号 247-248
    発行日: 2020/12/10
    公開日: 2021/01/31
    ジャーナル フリー
  • 田沼 務
    化学と教育
    2008年 56 巻 7 号 340-341
    発行日: 2008/07/20
    公開日: 2017/06/30
    解説誌・一般情報誌 フリー
  • 田沼 務
    化学と教育
    2007年 55 巻 10 号 512-513
    発行日: 2007/10/20
    公開日: 2017/06/30
    解説誌・一般情報誌 フリー
  • *小暮 岳実
    日本地理学会発表要旨集
    2006年 2006s 巻
    発行日: 2006年
    公開日: 2006/05/18
    会議録・要旨集 フリー
    1.はじめに
    関東平野を流れる利根川と荒川は,江戸時代に入り人為的な河道付け替えが行われるまでにも,幾多の河道変遷を繰り返してきた.両河川の中流域に位置する妻沼,加須の低地域一帯は,継続的な地盤沈下と,急速な堆積作用から激しい河道変遷が繰り返されてきたと考えられる.
     荒川低地には吉見町から川島町,川越市,さいたま市などを経て毛長堀に続く,幅約500mの大規模な連続した自然堤防帯が存在する.これらは2500m以上の蛇行波長を持ち,現在の荒川では作り得ないほどの規模である.この自然堤防を造る堆積物からは利根川起源の火山岩がみられることから,荒川低地へ利根川の流入が示唆されている(小出:1972,大谷ほか:1996).
     しかしこの自然堤防帯は吉見町以北では確認できず,利根川がどのような経路で荒川低地へ向かったかはわかっていない.そこで演者は現存する地形の分類と,堆積物の顕微鏡観察から,荒川低地に向かう利根川旧流路の復元を試みた.

    2.方法
    ・地形分類図の作成…昭和22年撮影の航空写真からの写真判読と,既存の表層地質図,現地踏査から旧流路を想定した地形分類図を作成した.
    ・地下構造の推定…対象地域のボーリングデーターから地質断面図を作成した.また,ハンドオーがーを用い地下6mまで堆積物の採取を行った.
    ・旧流路の規模…利根川旧流路の規模を,蛇行波長(λm)に着目し,現在の年平均流量(Q0)から次式,λm=106.1Q00.46(sul.ft/sec)(Carlston,1965)により推定した.
    ・顕微鏡鑑定…利根川流域には火山が存在するため火成岩片がみられることと,荒川流域では長瀞周辺の変成岩が特徴的なため,これらを両者の指標として旧流路で採取した堆積物の起源を顕微鏡鑑定により推定した.

    3.結果と考察
    ・行田市酒巻付近の旧流路
     当時,利根川は坂巻から荒川低地に向かっていたと考えられる.堆積物の観察から,河床を形成していたと思われる粗粒砂質堆積物がみられ,火山起源の堆積物も確認された.
    ・行田市街地付近の自然堤防
     行田市街地は図1に示すとおり,忍川の南に広がる大規模な自然堤防に立地している.この自然堤防は利根川旧流路を挟む形で分布しており,利根川旧流路右岸側のものは下忍まで連続している.この自然堤防と付近の旧流路で堆積物の採取と顕微鏡観察を行い,火山起源の堆積物が確認できた.また同時に荒川起源の変成岩片もみられることから両河川の影響を受けているものと考えられる.
    ・吹上高校付近の旧流路
     旧流路が蛇行している地点である.粗粒砂質堆積物が多くみられ,風化した軽石片が多くみられる.

     以上の結果から荒川低地に向かった利根川旧流路は,行田市酒巻から現在の流路を離れ,行田市街地,下忍,吹上町前砂を通って,吉見町でみられる大規模な自然堤防帯につながると考えられ,その規模は上流側で蛇行波長2000m,荒川合流後は2500mの蛇行波長となることがわかった.また図2から,旧流路は上流より下流側がより粗粒の砂質堆積物が厚く堆積しており,さらに図3より,この旧流路は荒川扇状地の縁辺から埋没台地がパッチ状に分布する地域の間に位置していることがわかる.この流路の埋没年代は,坂巻に分布する古墳の築造および埋没の年代から,およそ600_から_700年前と推定される.今後は年代資料の蓄積により,さらに詳しい離水,埋没年代を知ることが課題である.
  • 武井 晛朔, 村井 武文, 渋谷 紘
    地球科学
    1978年 32 巻 1 号 9-14b
    発行日: 1978/01/25
    公開日: 2017/07/26
    ジャーナル オープンアクセス
    The basal part (Gotanda conglomerate) of the Ogawamachi Group (Middle Miocene) comprises large pebbles, sometimes large boulders, of pultonic and metamorphic rocks, from which the following rock-types are discriminated under the microscope: granite, granodiorite, banded quartz diorite, diorite, amphibole schist, cordierite-biotite gneiss and biotite quartzo-feldspathic gneiss. Of these pebbles,cordierite-biotite gneiss is safely identified with the gneiss of the cordierite zone of the Ryoke belt and granitic rocks are mostly similar to some Ryoke granites. Moreover, TAKEI and KOIKE (1977) have found a small outcrop of the gneiss to the east of Ogawa-machi. From these facts, it is certain that the Ryoke belt was widely exposed to the north of the Kanto mountains before the Middle Miocene. In the northern Kanto mountains, the pelitic metamorphic pebbles in the Cretaceous system are exclusively biotite-schist. On the contrary, they are cordirite-biotite gneiss in the Middle Miocene series. Accordingly, the Ryoke belt in this area would continue to be raised at the time from the Cretaceous to the Middle Miocene. Then, the belt was changed into a subsiding zone during a time of the Miocene, and was largely covered by the Miocene sediments.
  • 小池 美津子, 後藤 仁敏, 渋谷 紘
    地球科学
    1978年 32 巻 1 号 35-37
    発行日: 1978/01/25
    公開日: 2017/07/26
    ジャーナル オープンアクセス
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