1.研究の背景と目的
洪水防止や工業用水の安定的な供給等を目的としたダム建設を巡っては、水没地域のコミュニティ崩壊や環境破壊への懸念等からしばしば反対運動が生じてきた。水没地域への補償や対策は、大きく「損失補償基準」と「水源地域対策特別措置法(以下、「水特法」とする)」の2本立てになっている(浜本、2015)。まず損失補償基準によって、公共施設(学校や役場等)の機能回復と水没地権者への財産補償がなされる。そして、水特法によって水源地域への影響緩和や活性化のための、宅地造成や農地・公園等の整備が講じられる。とりわけ水特法によるダムや周辺施設を活かした水源地域活性化への取り組みには注目が集まっている(浜本、2009)。ただし、水特法の適応対象となるダムの水没規模は、水没住宅数が20戸、または水没農地面積が20ha以上の大規模ダムに限られる(国土交通省、2005)。
従来、水源地域活性化に関する研究(中崎、2003など)や水没移転者に関する研究(国光ら、1978など)は数あるが、建設前の経緯をも踏まえて、水特法に指定された地域社会への影響を分析した研究は未だ少ない。そこで本研究では岡山県で唯一、水特法に指定された苫田ダムを事例に、ダム建設に伴う補償交渉プロセスから現在の地域活性化までの中長期的な視点で地域への影響を分析し、水源地域対策への取り組みを俯瞰的に評価する。
2. 研究対象と方法
研究対象は岡山県旧
奥津町
に建設され、半世紀にわたる反対運動の末、約500戸が移転を余儀なくされた、苫田ダムとその周辺地域である。主な研究方法は聞き取り調査(2019.10-2020.12)と文献調査及びアンケート調査(2020.9-2020.10)である。
3. 結果と考察
1957年にダム建設が発表されてから、旧
奥津町
では国や岡山県を相手に1990年頃まで反対運動が展開されていた(表1)。1982年に県は
奥津町
の同意なしに苫田ダムを水特法に指定し、奥津温泉を軸にした観光振興を町再生のために計画した。その反面、
奥津町
の方針をダム賛成へと導くために、道路整備や圃場整備等の補助事業の凍結による行政圧迫を行った。その手法は、水特法の指定によって行われる水源地域整備計画の中に、
奥津町
が既に計画していた補助事業を取り込むというものであった。1985年に推進派地権者が損失補償基準に調印し移転が始まったが、
奥津町
は反対の姿勢を変えなかったため、移転者用の町内公営団地建設を講じることができなかった。そのため、水没地区の住民の約9割が
奥津町
から、なし崩し的に
奥津町
内ではなく、津山市等の都市部へと流出した。また、移転を機に農業を辞めるなど、生活が変化した住民もいた。
国と県による行政圧迫や人口流出が続く中、1990年に町政がダム建設容認へ大きく転換すると、県主導の水源地域対策が講じられ始めた。その事業内容は、凍結されていた国道のバイパス工事や、観光物産館や温泉センター等の建設によるインフラ整備である。国道のバイパス工事は利用者にとって、移動時間の短縮に大きく貢献した。しかし温泉センターのホテル併設計画は客足流出を恐れた老舗旅館の反対により頓挫し、温泉センター内のテナントは撤退が相次いだ。また、観光物産館内のダム展示室は所有者である国土交通省からの補助金削減により閉鎖した。そして、現在、町内の観光団体はダム湖等を利用した事業を新たに行うことは考えていない。水特法により整備された国道等の社会基盤整備は地域にとって、移動時間短縮等の重要な役目を果たしているものの、水源地域対策が地域の観光振興につながっていないことが明らかになった。
4. 結論
従来、水特法は水源地域の影響緩和や活性化を目的としている。しかし、苫田ダムの場合、国・県が
奥津町
の同意なく苫田ダムを水特法に指定し、県の町内補助事業を水特法事業の対象とした行政圧迫を行った。その結果、町内からの人口流出等の影響を招いた。また、水特法による活性化施設は利活用が進んでいない。このように、水特法の運用方法を誤ると地域社会に中長期的な悪影響を与えると言えよう。
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