日本古代の天皇の居所=内裏・宮では、神祇官が邸宅神を祭り、御在所などを鎮める鎮祭を行った。本稿はこれらを「宮中鎮守祭祀」と定義し、その構造・変遷を、担い手を中心に論じた。
天皇の巫は神祇官所属の女性で、御巫・御門巫・座摩巫・生嶋巫の四人がいる。これらの各巫は宮中神を祭る女性祝部であり、宮中神祭祀を通じて天皇の身体を間接的に守る役割を果たした。七世紀後半に神祇官が成立する中で、宮主=卜部や忌部が大王の新嘗などで祭っていた邸宅神が官社となり、神祇官の神聖性を保障する宮中神として祭られる。これに伴い各巫が新設され、祝部として班幣などの国家的祭祀を担ったのである。各巫が御贖などで天皇の身体に直接的にも奉仕するのは宮主の職務を吸収したためで、これは九世紀以降に整備されたものである。
これに対し伝統的に大王・天皇の邸宅神を祭るのは宮主・戸座・忌部である。令制下の宮主は卜部として亀卜・解除に奉仕し、天皇個人に付属する庭火といった宮中の宅神の祭祀などを担う、その名の通り宮の主であった。この宮主と共に天皇親祭の忌火に関わるのが阿曇部などから採られる戸座で、両者は内膳司と共に竈神(庭火・忌火)を祭った。このような神祇官と宮内省の共同祭祀は、他の宅神祭祀や天皇親祭でも確認でき、令制以前の大王宮への一体的な奉仕の伝統を継承しており、負名の氏ら伝統氏族がこれを担った。同じく負名の氏である忌部は令制下では御在所・宅神の殿舎の鎮祭を担い、宮主らと共同で内裏鎮守祭祀を担うが、これも令制以前からの祭祀である。
令制下では、前代の伝統を継承する形で宮主・戸座・忌部ら伝統氏族による邸宅神祭祀が天皇親祭に付属し、これに各巫が宮中神(宮主・忌部らが祭る神から生まれた)を祭る月次祭が加わる。つまり、令制下の宮中鎮守祭祀は内廷に関わる前代の祭祀を継承する部分と、新たに国家的祭祀として整備される部分とで構成されていたのである。
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