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クエリ検索: "完全なる結婚"
12件中 1-12の結果を表示しています
  • 武田泰淳『「愛」のかたち』を読む
    山本 幸正
    昭和文学研究
    2004年 48 巻 60-73
    発行日: 2004/03/01
    公開日: 2023/05/15
    ジャーナル フリー
  • 田中 達夫
    粉体工学会誌
    1990年 27 巻 7 号 490-492
    発行日: 1990/07/10
    公開日: 2010/04/30
    ジャーナル フリー
  • 1870-1970年における科学的な性知識の形成と変容
    赤川 学
    年報社会学論集
    1995年 1995 巻 8 号 155-166
    発行日: 1995/06/05
    公開日: 2010/04/21
    ジャーナル フリー
    The concept of ‘emancipation of sex’ should be reconsidered. We suggest three propositions. 1) A sexual behavior is emancipatied by comparing the perniciousness of other sexual behaviors. 2) The loosening of social regulation on a sexual behavior is accompanied with the tightening of regulation on other sexual behaviors. 3) Therefore, emancipation of sexual behaviors doesn't occur homogeneously.
    In this paper, we emamine the universe of discourses on sex in modern Japan. We find that the eroticization of sexual behavior in marriage occured in 1910's and it was accompanied with stronger regulations on other sexual behaviors (masturbation, premarital intercourse, prostitution, and homosexuality).
  • 北村 邦夫
    月刊地域医学
    2023年 37 巻 4 号 13-
    発行日: 2023/04/10
    公開日: 2024/05/09
    解説誌・一般情報誌 フリー
  • ――『仮面の告白』と『禁色』とを中心に――
    朴 秀浄
    比較文学
    2019年 61 巻 60-75
    発行日: 2019/03/31
    公開日: 2022/04/01
    ジャーナル フリー

     Confessions of a Mask (1949) and Forbidden Colors (1951-53) are important works for understanding the reception and development of Western sexology in Mishima Yukio. From the end of the Meiji period and into the Taisho period, a number of monographs on sexology were translated into Japanese. Japanese scholars and writers actively responded to this and published their own research. Mishima showed a great interest in such books and explored them with enthusiasm. He then wrote Confessions of a Mask and Forbidden Colors, which are both concerned with male homosexuality. It is noteworthy that Magnus Hirschfeld is quoted in Confessions of a Mask and Havelock Ellis's theory is mentioned in Forbidden Colors, though little discussion on this has been done in previous studies.

     This paper will complement previous research by empirically comparing Mishima's text with the books on sexology he used when he was writing Confessions of a Mask and Forbidden Colors. In order to do this, Mishima's collection catalogue and materials Mishima actually read are analyzed, and the difference between the original books and quotes are identified. In addition, by clarifying what knowledge of sexology is included in Confessions of a Mask and Forbidden Colors, on homosexuality in particular, and by examining the two works comprehensively, this paper presents the development and change in Mishima's homosexual discourse.

  • 合田 栄作
    地理学評論
    1957年 30 巻 4 号 290-301
    発行日: 1957/04/01
    公開日: 2008/12/24
    ジャーナル フリー
  • 大河原 忠蔵
    日本文学
    1955年 4 巻 4 号 294-301
    発行日: 1955/04/01
    公開日: 2017/08/01
    ジャーナル フリー
  • 健康に関する書籍ベストセラーの分析を通して
    野村 佳絵子, 黒田 浩一郎
    社会学評論
    2005年 55 巻 4 号 449-467
    発行日: 2005/03/31
    公開日: 2009/10/19
    ジャーナル フリー
    日本では, 1970年代の半ば頃から, 人びとの健康への関心が高まり, それまでよりも多くの人びとが健康を維持・増進するための行動を心がけるようになったといわれている.周知のとおり, これらの現象は「健康ブーム」と呼ばれている.医療社会学では, このような「ブーム」の背景に, 「健康至上主義」の高まりを想定している.しかし, 「健康ブーム」も「健康至上主義」の高まりも, それらの存在を裏付ける証拠はいまのところ存在しない.そこで, 本論では, 書籍ベストセラーが人びとの意識や関心を反映しているとの仮定のもとに, 健康に関するベストセラーの戦後の変遷を分析することを通して, 人びとの健康についての意識の程度やあり方の変化を探った.その結果, 健康に関する本のベストセラーは1970年代の半ばに初めて登場したわけではなく, 1950年代後半から今日まで, そう変わらない頻度で現れていることが見出された.また, 「健康ブーム」といわれる時期の初期およびその直前には, 医学をわかりやすく解説する啓蒙書がベストセラーになっていることが発見された.したがって, 1950年代後半から今日まで, 人びとの健康への関心の程度にはそれほど変化がないということになる.また, 「健康ブーム」とされる時期に特徴的なことは, 健康への関心の高さではなく, むしろ, 健康に良いと信じられていることに対する批判的な意識の高まりではないかと推測される.
  • 今田 寛
    行動療法研究
    1988年 Special 巻 23-36
    発行日: 1988/03/31
    公開日: 2019/04/06
    ジャーナル フリー
  • 泉沙織
    コモンズ
    2022年 2022 巻 1 号 115-126
    発行日: 2022年
    公開日: 2022/05/11
    ジャーナル オープンアクセス
     衣服を脱いでいく見世物であるストリップティーズは、日本では 1947 年に「額縁ショウ」と呼ばれる活人画の展覧から始まった。以降広く「ストリップ」と呼ばれ現在まで形を変えながら続いている。本稿では、これまでの先行研究で「黄金時代」と呼ばれた初期のストリップの特徴を明らかにするとともに、当時の批評実践に着目して、ストリップを享受した男性たちのまなざしのあり方を捉えた。  「額縁ショウ」が「ストリップ」と呼ばれるまでの間には、「ばあれすくショー」「りべらるショー」「デカメロンショー」などの様々な呼称があった。ストリップが「ストリップ」の呼び名を獲得してからも、度々「バーレスク」を名乗って上演され、各種メディアにおけるストリップに対する批評文の中でも、たびたび米国のバーレスクが引き合いに出されていた。 ストリップを多く報じた『内外タイムス』等の批評言説によれば、ストリップの中でも裸を見せるだけのショーは「エロショウ」「ハダカショウ」などと呼ばれ批判の対象であった。反対に、卑猥感のなく美しい肉体、巧みな構成と装置を用いたショーは好ましいストリップであるとされ、それこそが「バーレスク」であると理解されていた。つまり「バーレスク」という言葉が時にストリップへの高い評価を表していたのだが、観客が実際に好んだのは露骨な性表現であり、興行主も儲けるためには性表現を必要とした。  そこでストリップが「バーレスク」を名乗り「芸術」を志向することは、ストリップを見ることの後ろめたさや踊り子への哀れみを打ち消す働きがあったと考えられ、そうまでして女性身体を見ていたのは、占領によって排除された自らの男性性を確認する必要があったからである。さらに、踊り子の身体には米国のイメージが投影され、そうした表象を視線によって支配していくことは、敗戦を克服して男性性を再構築するための手段となっていたのである。
  • ――「芸術」志向とまなざしの転覆――
    泉 沙織
    年報カルチュラル・スタディーズ
    2022年 10 巻 101-123
    発行日: 2022年
    公開日: 2023/07/25
    ジャーナル フリー
     本稿は、1947年に始まった日本におけるストリップティーズのうち初期のものについて、踊り子の労働状況と、観客のまなざしを受けた踊り子の「主体的」実践について論じている。本稿では新聞や雑誌などの一次資料から踊り子の労働状況を把握するとともに、彼女たちの言説を取り上げ、ストリップが一方的に見られるのではなく観客を「見返す」演技を行うことに着目した。
     初期のストリップを演じた女性たちは、元々踊り子をしていたり、公務員や主婦であったりと、様々な背景からこの世界に飛び込んだ。ストリップは他の職業と比べて多くの給与を得ることができたため、生活のためにこの世界に入る者が多く、芸能界として捉えられながらも観客からは哀れみの目を向けられていた。その一方でなかにはストリップに芸術性を見出し、積極的な姿勢で踊りに取り組んだ者がいた。本稿は踊り子による「芸術」志向やそのための観客を見返す演技が、観客による哀れみや一方的な性的客体化をひるがえし、自らを「主体」として位置付けていくために行われていたと指摘する。踊り子は「芸術」という言葉を用いることで、他者と差異化を図り自己を規定していたと考えられる。そして、ストリップの「生」の上演空間では映画や写真と異なり観客と踊り子の視線が直接結びつき、踊り子は観客の反応によって踊りへのモチベーションを左右された。ストリップは女性が「純潔」であるべきで、「女性の性欲は男性に与えられる」という当時の性規範を逸脱する表現を可能にした。
     また、当時のストリップは「パンパン」のように直接的に体を売らずに給与を稼ぐ手段を女性たちに提供したが、労働環境には覚醒剤の蔓延や悪質なブローカーの存在など問題点が多く、全面的には肯定しがたい。また、本稿で取り上げたようなメディアにおける踊り子の「主体的」な言説は、有名で金銭的に余裕のあった踊り子の声に偏っていることも指摘している。
  • 河原 梓水
    Antitled
    2022年 1 巻 33-57
    発行日: 2022/03/27
    公開日: 2022/04/05
    ジャーナル フリー
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