年報カルチュラル・スタディーズ
Online ISSN : 2434-6268
Print ISSN : 2187-9222
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戦後日本における初期ストリッパーの実践
――「芸術」志向とまなざしの転覆――
泉 沙織
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2022 年 10 巻 p. 101-123

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抄録

 本稿は、1947年に始まった日本におけるストリップティーズのうち初期のものについて、踊り子の労働状況と、観客のまなざしを受けた踊り子の「主体的」実践について論じている。本稿では新聞や雑誌などの一次資料から踊り子の労働状況を把握するとともに、彼女たちの言説を取り上げ、ストリップが一方的に見られるのではなく観客を「見返す」演技を行うことに着目した。
 初期のストリップを演じた女性たちは、元々踊り子をしていたり、公務員や主婦であったりと、様々な背景からこの世界に飛び込んだ。ストリップは他の職業と比べて多くの給与を得ることができたため、生活のためにこの世界に入る者が多く、芸能界として捉えられながらも観客からは哀れみの目を向けられていた。その一方でなかにはストリップに芸術性を見出し、積極的な姿勢で踊りに取り組んだ者がいた。本稿は踊り子による「芸術」志向やそのための観客を見返す演技が、観客による哀れみや一方的な性的客体化をひるがえし、自らを「主体」として位置付けていくために行われていたと指摘する。踊り子は「芸術」という言葉を用いることで、他者と差異化を図り自己を規定していたと考えられる。そして、ストリップの「生」の上演空間では映画や写真と異なり観客と踊り子の視線が直接結びつき、踊り子は観客の反応によって踊りへのモチベーションを左右された。ストリップは女性が「純潔」であるべきで、「女性の性欲は男性に与えられる」という当時の性規範を逸脱する表現を可能にした。
 また、当時のストリップは「パンパン」のように直接的に体を売らずに給与を稼ぐ手段を女性たちに提供したが、労働環境には覚醒剤の蔓延や悪質なブローカーの存在など問題点が多く、全面的には肯定しがたい。また、本稿で取り上げたようなメディアにおける踊り子の「主体的」な言説は、有名で金銭的に余裕のあった踊り子の声に偏っていることも指摘している。

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