【目的】日本栄養学の父とされる佐伯矩は従来の「営養」にかわり「栄養」の語を提唱したが,その根拠は不明なままであった。本研究の目的は,新たに発見した資料をもとに,佐伯と脚気問題と宗教との関係性をふまえながら,「栄養」の語義と根拠文献を明らかにすることである。
【方法】これまでその存在が認識されず研究対象とされてこなかった旧栄養学校所蔵資料(とりわけ佐伯矩の著作群と古書群),および佐伯の下積み時代の論文23件,戦前の新聞記事(読売新聞,朝日新聞)を分析した。
【結果】古書群のうち漢方医学(『諸病源候論』『万痾必愈』)および宇田川系の蘭学(『和蘭薬鏡』)の文献に,佐伯が「栄養」の語義を参照した形跡があった。佐伯の栄養学確立への動機を形成した要因として,脚気問題との関係を直接証明する文献的根拠は得られなかったが,佐伯の宗教観(特に妻昌子を通じた教派神道黒住教との接触)との関連性を示唆する資料的根拠を得ることができた。
【結論】佐伯矩が「栄養」の語彙に託した意味は「血液」「発育」である。より具体的にいえば「栄養」とは,飲食物から取り込んだ生命の原動力を,体中に循環運行させ,心身を発育させる機能を意味する。本研究ではその語義と根拠文献を明らかにしたが,佐伯がなぜこうした意味を「栄養」という語彙に託したかという動機のさらなる探索が求められる。
抄録全体を表示