従来の藩政史研究は、十七世紀前半の藩政(藩制)成立・確立期や十八世紀後半の中期藩政改革に集中し、その間の時期についてはさほど注目されてこなかった。この時期は、政治運営の中心が藩主から
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以下家臣へと移行していくと見通され、藩主の政治的役割についてはほとんど考究されてこなかったといっていい。そこで、本稿では藩政確立後の事例として、弘前藩四代藩主津軽信政(在位 明暦2〈1656〉-宝永7〈1710〉)を取り上げて、藩主の政治的役割を明らかにした。
延宝8年(1680)、信政は、新たに用人を
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の下で奉行職などを統括する部局として制度化し、もって審議や情報の把握、下達を
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が一元的に担う従来の政治機構を改編した。具体的には、①各審議段階に用人を参与させるように審議体制を改編し、②
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から各部局まで単線的な回路で結ばれる指揮系統を構築する一方、事案や緊急性に応じて用人など特定の部局には
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を介さずに藩主に直接上申可能な回路を設け、藩主と各部局とが複線的な回路で結ばれる上申系統を構築したのである。また、③幕閣や他大名家に関わる情報を迅速に機構中枢に上げるべく、藩主在府時の国元においては江戸御用番を、同じく江戸藩邸においては御用番を新設し、
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と用人をこれに充てた。それらを通じて信政は藩政に関わる情報を入手し、常に自らの意向を藩政に反映させることが可能となったのである。
とはいえ、藩主信政はいわゆる御前会議や藩主直裁的な意思決定を志向したわけではない。信政は各部局から上申される情報を通じて政務の処理状況などを把握した。信政は、これを踏まえた制度体系の変更や機構内の人員配置、政務の差配を行うことで政治機構を運用し、藩政に携わったのである。ここに、藩政確立後の藩主の政治的役割を見ることができる。
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