辰野町横川川流域にあった浜横川鉱山は1897年頃に発見,開発され,1983年に閉山し,マンガン鉱総生産量 約35万トンの全国屈指の生産量をあげた.鉱床は「層状マンガン鉱床」に分類され,その成因は,古生代地向 斜堆積物の「秩父古生層」中のチャートが,マンガンを含む熱水によって交代されたとする後生説で説明され てきた.しかし,半世紀に及ぶ地質学と鉱床学の発展と海洋地質学の新知見によって,「秩父古生層」は海洋 プレート付加体であって,横川川流域は古生代ではなく,中生代ジュラ紀の泥岩・砂岩およびそれらの互層に, 三畳紀のチャートなどが含まれると解釈されるようになり,「層状マンガン鉱床」はマンガンを含む堆積物が チャートとともに堆積して未固結時変形で生成したという同生説が提唱された.これに海洋地質学におけるマ ンガン堆積物の知見が加わって以降,同生説に基づいて堆積環境やマンガン原鉱物や熱変成によるマンガン鉱 物種の変化が検討されるようになった.
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