本論は、『うつほ物語』における内親王獲得の明暗という視角から論じる。主な考察対象は、藤原仲忠と源祐澄である。史上の皇女の婚姻状況を見据え、「皇女を盗む」行為の特殊性をあぶり出すとともに、祐澄による女二の宮強奪未遂事件に至る過程に、周到な語りの方法が用いられていることを明らかにしたい。さらに、その女二の宮強奪を仲忠が阻むという構図から、初の長編物語が終焉を迎えるにあたって辿り着いた志向性を読み取ることを目的とする。
本稿では、主に漢文脈が重視されてきた中島敦「山月記」における創作手法について、中島敦が知り得た生物学の知見を踏まえて論じた。「山月記」は、虎の意識をめぐる李徴の発話内容が李徴を虎に変身した人物であるかのように読ませているのであり、虎に変身した物語/していない物語どちらにも読むことができる。そこに典拠「人虎傳」との差異がある。中島敦文学の独自性は、こうした単一でない文学的想像力にこそ見出される。
昭和初期、雑誌や新聞上で「実話」が取り上げられ流行した。特に『文芸春秋』はいち早く「実話」欄を設置し懸賞実話を積極的に行って、「真実」を語る新しいジャンルを切り拓くことを印象付け、また雑誌を通じて読者が場を共有するあり方を演出することに成功した。しかし、この懸賞の当選作である橘外男「酒場ルーレツト紛擾記」は『文芸春秋』が演出した「実話」のあり方自体を相対化した挑戦的な作品となっている。本稿では、『文芸春秋』懸賞実話のあり方を考察した上で「酒場ルーレツト紛擾記」の魅力に迫りたい。
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