本稿は,群馬県勢多郡赤城村三原田諏訪上遺跡で発掘調査された奈良時代後半から平安時代初頭の瓦塔を安置したと推定される仏堂跡の,調査概要及び古代上野の仏教信仰についての考察を主題としている。北関東地方の群馬県では,当該;期の民衆層に影響を及ぼした仏教に関連する遺跡の調査は稀であり,三原田諏訪上遺跡では集落に付属して,瓦塔を安置した仏堂が存在することが判明した。この仏堂は,地形を施した礎石建物で大棟を甍棟か熨棟程度にする部分的な瓦葺構造であったことが推定でき,瓦塔を安置するための基壇に相当する施設が造られていることも判明した。
上毛の山並みに抱かれた赤城山の麓において,8世紀後半に出現した集落は9世紀中頃には途絶えるようであり,集落と一体となった仏堂の展開が予測できることから,東国社会において瓦塔を安置して礼拝対象としたその信仰の実態を窺うことができる。本遺構の検討によって,古代上野の農村社会における瓦塔信仰の背景にある仏教信仰の展開も予測したい。
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