本研究は、幕末維新期に駐日外交官として活躍したアーネスト・サトウと甲斐の国の人々との交流がどのように生じ、どのような意味をもったかを考察することによって、幕末期に甲斐の国の人々の開明性を育んだものは何かを明らかにすることを目的としている。幕末期に英語を身に付けるために長崎に居る外交官の身辺で職を得ようとする者は少なくなかった。こうした動きは、「身分の低い幕臣の『立身出世』の糸口」と捉えられている。しかしながら、幕府直轄地であった甲斐の国での洋学志向は、幕府が洋学の必要性を看取し蕃書調所創設を計画する以前から高かった。それはなぜか、そのような関心はどのような人々によってけん引され、どのようなネットワークを形成したのかを本研究は明らかにする。人々が何か共通の興味関心を持って交流し、ネットワークを形成することには重要な教育的意義と歴史社会的背景があると筆者は考えている。
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