本稿の目的は、社会学理論と社会的現実の関係を検討するために、社会運動論における「理論と実践」の問題を再考することにある。かつての社会運動論にとって、理論と実践の関係づけは核心的な課題だった。「理論」の中心にあったのは、代替的社会構想であり、「実践」の中心にあったのは、言うまでもなく運動実践だった。しかし、資源動員論/
政治過程論
や「新しい社会運動」論、とりわけ日本におけるそれらの受容形態においては、このような意味での「理論と実践」の関係は見失われてしまった。現代の社会運動論において「理論と実践」の問題を再設定する、言いかえれば、現代社会の状況にふさわしく社会構想と社会運動を結びつけるためには、個々の運動研究者が自らの「中心的な問い」をはっきり自覚するところから始める必要がある。筆者の「中心的な問い」は韓国の民主化と社会運動の関係に関するものである。そこにおいて、未達成の「不定形の民主化」という社会構想と、個別的な運動実践が結びつく経路が見出される。このようにして社会学理論と社会的現実は媒介されるが、以上の論議は、今日の社会学理論の内実に関して、ある深刻な疑義を示すものでもある。
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