死と看取りに関する近年の研究では、死にゆく人の決定や選択、主体的コントロールに着目するアプローチの限界が指摘されるなか、周囲の人の記憶に着目して死にゆく人の人格や自己の構築過程に接近しようとする研究が見られる。その際、これまで人類学では、看取りの過程における記録および「記録する」という行為は十分に主題化されてこなかった。本稿では、1998年にホスピスで夫を看取った楠見育子さんという女性が当時かいていた絵手紙と、16〜24年後の彼女の語りをもとに、意識が低下した状態の終末期患者の看取りの過程でどのような記憶が形成され、また、それを記録するという行為がどのような実践であり経験であったのかを検討する。楠見さんは夫の世話をするなかで、それまで夫とともに築いてきた記憶を呼びおこし、それを絵手紙とその裏のメモに記録していった。また、ホスピスでの半年間の夫の姿や夫とのやりとり、周囲の環境や物、医療スタッフや他の人びととのやりとりをかいた絵手紙は、楠見さんにとって看取りの身体的経験をたどった跡となった。それは夫が最期まで人格を保持した社会的存在として生き抜いた過程を伝えようとするものとなった。
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