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クエリ検索: "日本列島の旧石器時代"
13件中 1-13の結果を表示しています
  • (学び舎、2016年)
    香川 七海
    教育學雑誌
    2017年 54 巻 123-124
    発行日: 2017/12/25
    公開日: 2021/04/09
    ジャーナル フリー
  • 講談社学術文庫,東京,2019年,362ページ 定価1,280円(税別)
    萩原 康雄
    Anthropological Science (Japanese Series)
    2020年 128 巻 1 号 39
    発行日: 2020年
    公開日: 2020/06/23
    [早期公開] 公開日: 2020/03/20
    ジャーナル フリー
  • 鹿又 喜隆
    史学雑誌
    2011年 120 巻 5 号 641-646
    発行日: 2011/05/20
    公開日: 2017/12/01
    ジャーナル フリー
  • 河野 礼子, 岡崎 健治, 仲座 久宜, 徳嶺 里江, 片桐 千亜紀, 土肥 直美
    Anthropological Science (Japanese Series)
    2018年 126 巻 1 号 15-36
    発行日: 2018年
    公開日: 2018/06/28
    [早期公開] 公開日: 2018/04/24
    ジャーナル フリー

    石垣島・白保竿根田原洞穴遺跡からは保存のよい4個体を含めて20個体近い更新世人骨が出土している。このうち,現地調査最終盤に出土し,保存状況も最良の白保4号個体の頭骨について,実物の骨をできるだけ接合したのちに,X線CT撮影により3次元形状データを取得してデジタル形状データとして全体を復元した。その結果,鼻根部の強い陥凹や,顔高が低く額が幅広であるなどの特徴が明らかになった。さらに実物の頭骨で直接測った計測値とデジタル復元結果を利用して求めた計測値を合わせて,予備的な形態解析を実施したところ,白保4号頭蓋の形態は,

    日本列島の旧石器時代
    人や縄文時代人,そして中国南部やベトナムなど琉球列島よりもさらに南方系の先史時代の人々に近いことが示唆された。デジタル復元した頭骨をもとにして生前の顔貌の復元を試みたので,その経過と復元結果についても報告する。

  • 河野 礼子
    学術の動向
    2020年 25 巻 2 号 2_54-2_57
    発行日: 2020/02/01
    公開日: 2020/06/26
    ジャーナル フリー
  • 小野 昭
    Anthropological Science (Japanese Series)
    2011年 119 巻 1 号 1-8
    発行日: 2011年
    公開日: 2011/06/21
    ジャーナル フリー
    日本における旧石器時代研究の枠組みには多様な局面がある。しかし,2000年11月5日に暴露された前期・中期旧石器時代遺跡の捏造事件以降,日本列島における最初の確実な人類の居住が関心の焦点となってきた。まず日本の旧石器時代研究の現状を規定している歴史的経緯を示し,次にヨーロッパで立てられた旧石器時代の2分法,3分法にふれ,最後にその日本での展開に言及した。日本列島への最初の人類の居住時期については様々な説があるので,実際的には「酸素同位体ステージ3の考古学」として多様な議論を保証する必要がある。ただ筆者は,日本列島への人類の確実な居住はca. 40 ka以降であるとする立場から枠組み問題の論点を整理した。後期旧石器時代を遡る石器群の存在の証明のためには,諏訪間(2010)が提起したように,1)石器に残された明確な加工痕,2)偽石器の含まれる可能性のない安定した遺跡立地,3)層位的な出土,4)石器の複数出土,のすべての条件を満たす必要がある。しかし現在これを満足させる資料は無い。日本の立川ローム層最下部X層の段階を日本列島における最初の居住と位置づけることを骨太の仮説として提出し,この仮説は,追証よりも,今後反証条件を整えることで仮説をテストすることが有効であることを示した。
  • 諏訪 元, 藤田 祐樹, 山崎 真治, 大城 逸朗, 馬場 悠男, 新里 尚美, 金城 達, 海部 陽介, 松浦 秀治
    Anthropological Science (Japanese Series)
    2011年 119 巻 2 号 125-136
    発行日: 2011年
    公開日: 2011/12/22
    [早期公開] 公開日: 2011/11/22
    ジャーナル フリー
    港川フィッシャー遺跡からは個体骨4体分を含む「港川人骨」が知られている。人骨と共に採集された木炭片から18250 ± 650 BPと16600 ± 300 BPの未較正14C年代測定値が得られているが,出土情報の詳細が出版されていなかったことから,人骨と年代値との関係は定かでなかった。そこで,今回,現存する調査記録と出土情報を確認・分析し,特に,大山盛保と渡辺直経らによる1970年の「港川人骨」の発掘・採集について可能な限り明らかにした。東京大学に保管されてきた港川フィッシャー遺跡出土の動物骨と人骨に関連して,従来から,番号付きの資料カードが作成されており,出土グリッド,採取年月日,人骨片の部位などが記されている。これらの詳細情報と大山盛保による手記と図,および渡辺直経の記述は互いに整合性が高く,以下のことを確認することができた。1)港川2号・3号・4号人骨は,主として,渡辺が沖縄訪問中の1970年8月21日~23日の間にグリッドA2/A3~C4の範囲から採取・発掘されたものである。2)港川1号人骨は,主として1970年9月~11月に,グリッドC5/C6~D6にかけて大山が発見・採取したものである。3)14C年代測定の対象となった木炭片は2号・3号・4号人骨とイノシシ骨多数を産出した粘土層から採取したものと推論できる。また,今回の再評価調査の過程で,港川フィッシャー遺跡と山下町第一洞穴遺跡の人骨について,若干数の未発表資料を確認した。そこで,両遺跡関連の人骨資料について改めて標本リストを作成した。
  • 藤田 祐樹
    第四紀研究
    2017年 56 巻 3 号 121-129
    発行日: 2017/06/01
    公開日: 2017/08/03
    ジャーナル フリー

    沖縄の旧石器時代遺跡からは,国内はもとより,東アジア地域で希少な人骨が発見されている.琉球列島に広く分布する石灰岩が骨の保存に適しているためと考えられており,また,近年の調査では,石灰岩鍾乳洞を旧石器人が生活の場や埋葬の場として利用していたことも明らかになりつつある.さらに,そうした調査で明らかになった旧石器人の暮らしぶりは,海産貝を素材として多様な道具や装飾品を作り上げ,淡水産のモクズガニやカワニナなどの水産資源を利用するなど,島環境に適応したと捉えられるものだった.こうした調査研究成果をうけて,近年,沖縄島南部の旧石器時代遺跡では,遺跡の保全・活用の体制が進展している.本稿では,そうした現状を報告し,ジオパーク的視点からの活用の今後の展望について検討する.

  • 稲田 孝司, 河村 善也
    第四紀研究
    2004年 43 巻 5 号 331-344
    発行日: 2004/10/01
    公開日: 2009/08/21
    ジャーナル フリー
    中期更新世の多様な脊椎動物化石を豊富に産出する足見NT洞窟の堆積物の発掘調査が1992年から1996年にかけて5回にわたって行われた.発掘調査の結果,堆積物は北東-南西方向にのびる裂罅状の洞窟を埋めており,上位から第1層~第3層に区分されることがわかった.そのうち,攪乱を受けていない本来の化石の包含層は第3層で,この層は石灰岩角礫を含む褐色泥からなり,厚さは5m以上におよぶ.産出化石のかなりの部分を占める哺乳類化石の予察的な研究の結果,この洞窟の哺乳類化石群集には絶滅種や現在の日本に分布しない種をかなり含んでいることが判明した.一方,現生種も多いこと,森林棲の種類が多いこと,現在の本州の高山に点々と分布する種が高い頻度で含まれること,食虫目にハリネズミ属が見られること,齧歯目のハタネズミ科が絶滅種のみで構成されていることなどの特徴が見られた.このような特徴から,本化石群集は中期更新世中期のものであり,それを含む堆積物が堆積した当時は現在よりかなり寒冷で,洞窟の周辺はおもに森林におおわれていたと考えられる.
  • 春成 秀爾
    第四紀研究
    2001年 40 巻 6 号 517-526
    発行日: 2001/12/01
    公開日: 2009/08/21
    ジャーナル フリー
    自然環境の変化,大形獣の絶滅と人類の狩猟活動との関連,縄文時代の始まりの問題を論じるには,加速器質量分析(AMS)法の導入により精度が高くなった14C年代測定値を較正して,自然環境の変化と考古学的資料とを共通の年代枠でつきあわせて議論すべきである.後期更新世の動物を代表する大型動物のうち,ナウマンゾウやヤベオオツノジカの狩猟と関連すると推定される考古資料は,一時的に大勢の人たちが集合した跡とみられる大型環状ブロック(集落)と,大型動物解体用の磨製石斧である.これらは,姶良Tn火山灰(AT)が降下する頃までは顕著にその痕跡をのこしているが,その後は途切れてしまう.AT後は大型動物の狩りは減少し,それらは15,000~13,000年前に最終的に絶滅したとみられる.その一方,ニホンジカ・イノシシは縄文時代になって狩猟するようになったとする意見が多いが,ニホンジカの祖先にあたるカトウキヨマサジカが中期更新世以来日本列島に棲んでいたし,イノシシ捕獲用とみられる落とし穴が後期更新世にすでに普及しているので,後期更新世末にはニホンジカおよびイノシシの祖先種をすでに狩っていた可能性は高い.
    縄文草創期の始まりは,東日本では約16,000年前までさかのぼることになり,確実に後期更新世末までくいこんでおり,最古ドリアス期よりも早く土器,石鏃,丸ノミ形磨製石斧に代表される神子柴文化が存在する.同じような状況は,アムール川流域でも認められている.また,南九州でも,ほぼ同じ時期に土器,石鏃,丸ノミ形磨製石斧(栫ノ原型)に加えて石臼・磨石の普及がみられ,竪穴住居の存在とあわせ定住生活の萌芽と評価されている.豊富な植物質食料に依存して,縄文時代型の生活がいち早く始まったのであろう.しかし,東も西も草創期・早期を経て約7,000年前に,本格的な環状集落と墓地をもつ定住生活にいる.更新世末に用意された新しい道具は,完新世の安定した温暖な環境下で日本型の新石器文化を開花させたのである.
  • 河野 礼子, 土肥 直美
    Anthropological Science (Japanese Series)
    2018年 126 巻 1 号 63-78
    発行日: 2018年
    公開日: 2018/06/28
    ジャーナル フリー

    ここに寄せる文章は,沖縄の新聞・琉球新報に,2016年2月17日から2017年5月31日にかけて計30回にわたり連載された『旧石器人研究最前線』の記事の後半部分である。沖縄には港川や山下町など人骨出土遺跡があり,さらにこの数年は白保竿根田原洞穴遺跡やサキタリ洞遺跡での成果が報道され,三万年前の航海再現プロジェクトがスタートして注目されるなど,沖縄の旧石器人研究がひときわ盛り上がりを見せていると言っても過言ではなかろう。そうした中で地元への啓発・還元の意味で開始した連載記事を,沖縄外の人類学会員や,広くは関心のある全国の読者にも読んでもらいたく,再発信するものである。もともとが新聞の連載記事である性質上,その時点で進行中の時事ネタが多分に盛り込まれているが,その時その時の「今」を記録する意味で,あえて改稿せずほぼ新聞掲載時のまま全文転載させていただくこととした(各記事の筆者の所属も掲載時点のものである)。

    今回の転載を快諾してくださった筆者の皆様と,連載の趣旨に賛同し牽引してくださった琉球新報社の米倉外昭氏に心より感謝する。本寄書のこれ以降の内容はすべて,琉球新報社の提供によるものである。

    (なお,連載17~19回の記事については,筆者の希望により掲載しない。)

  • 斎藤 文紀, 鈴木 毅彦
    第四紀研究
    2013年 52 巻 3 号 65-89
    発行日: 2013/06/01
    公開日: 2013/09/03
    ジャーナル フリー
  • 河野 礼子, 土肥 直美
    Anthropological Science (Japanese Series)
    2017年 125 巻 2 号 101-125
    発行日: 2017年
    公開日: 2017/12/28
    ジャーナル フリー

    ここに寄せる文章は,沖縄の新聞・琉球新報に,2016年2月17日から2017年5月31日にかけて計30回にわたり連載された『旧石器人研究最前線』の記事である。人類誌本号と次号の2回に分けて掲載していただくこととなった。石垣島・白保竿根田原洞穴遺跡の発掘調査と出土人骨の整理作業が進むかたわら,旧石器時代の遺跡から見つかる人骨資料の重要性を,とりわけ地元沖縄の人たちにもっとよく知ってもらいたい,との思いから,連載を開始した。沖縄には港川や山下町など人骨出土遺跡があり,またサキタリ洞遺跡からも近年目覚ましい成果があがっているなど,旧石器人の研究において重要であることは言うまでもない。特にこの数年は,白保やサキタリ洞での成果が報道され,三万年前の航海再現プロジェクトがスタートして注目されるなど,沖縄の旧石器人研究がひときわ盛り上がりを見せていると言っても過言ではなかろう。そうした中で地元への啓発・還元の意味で開始した連載であるが,回が進むうちに,この贅沢なラインナップの記事を地方紙への掲載にとどめておくには惜しい気がしてきた。そこで沖縄外の人類学会員や,広くは関心のある全国の読者にも読んでもらえる媒体での再発信を模索していたところに,今回の寄書の計画が持ち上がったというわけである。各記事の筆者の承諾を得た上で,連載を企画した土肥と河野でとりまとめて「寄書」として投稿したものであり,それぞれの記事の内容は各筆者によるものである。また,もともとが新聞の連載記事である性質上,その時点で進行中の時事ネタが多分に盛り込まれているが,どのように事態が動いていたかを記録する意味で,あえて改稿せずほぼ新聞掲載時のまま全文転載させていただくこととした(各記事の筆者の所属も掲載時点のものである)。この点ご理解の上,その時その時の「今」を感じて楽しんでいただければ幸いである。

    これまで沖縄の旧石器時代研究に関わって来られた先達と,現在進行中のさまざまな研究プロジェクトに加わっておられるすべての関係者に,この機会に改めて敬意を表したい。また多忙ななかで原稿を執筆してくださり,また今回の転載を快諾してくださった筆者の皆様と,連載の趣旨に賛同し牽引してくださった琉球新報社の米倉外昭氏に心より感謝する。本寄書のこれ以降の内容はすべて,琉球新報社の提供によるものである。

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