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クエリ検索: "映画秘宝"
8件中 1-8の結果を表示しています
  • 新谷 葉, 渋谷 浩太, 檜山 茂雄
    映像情報メディア学会技術報告
    2012年 36.16 巻 AIT2012-90
    発行日: 2012/03/09
    公開日: 2017/09/21
    会議録・要旨集 フリー
    画コンテをもとに、役者の表情、仕草などを「身体素材」として撮影。のちに加工。それにより、2次元の表裏面で様々な身体表現の要素をみせる。私なりに考える、「紙人形」というアイテムに則って制作した。「静止画」であるキャラクターを、「動く」映像媒体で表現した。「時間」と「アニマ(魂)」についての観察作品。
  • 「無明」を巡る実相寺昭雄と石堂淑朗との葛藤について
    加田 謙一郎
    木更津工業高等専門学校紀要
    2022年 56 巻 45-
    発行日: 2022年
    公開日: 2023/02/06
    研究報告書・技術報告書 フリー
    本論文では、実相寺プロダクションとATGが共同制作した、石堂淑朗脚本、実相寺昭雄監督の3本の映画について論じ、作家と監督の葛藤について詳しく論じる。 その際、彼らがこだわった「無明」という言葉に着目し、3本の映画を分析した。 ハーマン・メルヴィルの短編小説「BARTLEBY, The Scrivener」をめぐる石堂と実相寺の対立も詳しく分析した。 石堂淑朗と実相寺昭雄の「知っていても止められない心」が、彼らにとっての「無明」の在り方であることを分析して明らかにした。 また「無明」という言葉が、バートルビーの「私はしたくない」という言葉につながる過程を詳しく分析した。 その過程で、石堂と実相寺の問題の本質を指摘した。その本質を巡って、石堂は「古来より続いてきた民俗の血統が未だ解明されていない」という問題を主張し、実相寺は「引揚者であることの汚名」を主張している、と指摘することができた。 彼らの最後の作品である「歌」では、両方の問題が融合し、昇華されたことを明らかにした。
  • 神谷 和宏
    現代社会学研究
    2021年 34 巻 39-56
    発行日: 2021年
    公開日: 2022/08/01
    ジャーナル オープンアクセス
    本研究は,日本のポップカルチャーの一ジャンルである特撮が,戦後日本に興ったアヴァンギャルドの影響を受け,「ドキュメンタリー性」,また前衛的な映像表現が見られる点について考究するものである。花田清輝らによって牽引された戦後アヴァンギャルドの思潮は,その具現化の一つとして大島渚らの手でドキュメンタリー映画に結実した。またその効果を高めるために前衛的な映像が用いられた。脚本家の佐々木守や監督の実相寺昭雄は大島らとともに,アヴァンギャルドの運動に関わっていたことで,『ウルトラマン』シリーズにもアヴァンギャルド的な発想,主張が現れることとなった。この点に鑑み,ドキュメンタリー映画,また伝統的なドキュメンタリーの手法をフィクションと統合した,フランスの映画の思潮,ヌーヴェル・ヴァーグについて,本研究に関わる点に絞って論じた後,佐々木と実相寺の作品を取り上げて,具体的な映像分析を通して,特撮におけるアヴァンギャルドの具象について論じていくこととする。
  • 『細雪』におけるリメイク/翻案の過程
    森 年恵
    映画研究
    2020年 15 巻 28-50
    発行日: 2020/12/05
    公開日: 2022/07/04
    ジャーナル オープンアクセス
    本論は、阿部豊監督作品(1950年、新東宝)、島耕二監督作品(1959年、大映)、市川崑監督作品(1983年、東宝)の三作の『細雪』を、『アダプテーションの理論』(ハッチオン)、『映画リメイク』(Verevis)による「リメイク/翻案」の概念拡大を参照しつつ検討することを目的とする。阿部作品は原作への忠実を旨としながら妙子に焦点を当て、島作品は阿部作品の基本構造を採用してメロドラマ化しつつ雪子と妙子にトラウマの主題を導入し、市川作品は原作からの新たな翻案を試みて貞之助の雪子への欲望の描写と四姉妹の描き分けを行った。三作の製作の中に、「リメイク/翻案」の両者を含む『細雪』=「美しい四姉妹の物語」の図式の生成過程を見ることができる。「リメイク」および「翻案」の概念は、近年の概念拡大によって、それぞれを「メディア内」「メディア間」の現象として理解することが困難になっているが、産業、受容の側面も含めた三作の検討の結果、多様な現象の総合的な運動として見る 「リメイク」と翻案者の動機を含む製作過程を重視する「翻案」という視点の相違が重要と結論づけられた。
  • 『クロユリ団地』の境界を越える音
    今井 瞳良
    映画研究
    2017年 12 巻 26-43
    発行日: 2017年
    公開日: 2017/12/25
    ジャーナル フリー
    本稿は映画音響と団地という空間に着目して、『クロユリ団地』(中田 秀夫監督、2013 年)の人間と幽霊の境界を論じていく。日本映画史に おいて、団地のコンクリートの壁は物理的な境界として、視覚的に遮る ことはできるが、聴覚的には透過性が高いという特徴を持ってきた。こ れは、音響と物語空間の問題であるとともに、フレームの問題でもある。 この特徴を活用して『クロユリ団地』では、人間と幽霊の会話は常に「フ レーム外」を通してなされ、画面において両者は断絶している。団地の 境界とフレームの境界という二つの境界を通して、人間と幽霊の境界は 「イン」の会話の不可能性として示されているのだ。その中で、人間の明 日香と「イン」の会話をする幽霊のミノルの関係を分析し、明日香が人 間と幽霊の境界を無効化する不気味な存在と化していくことを明らかにし た。そして、その不気味な明日香が「幼さ」を肯定的に捉える女性表象 に対して批評性を持つことを指摘した。
  • 木下 浩一
    日本コミュニケーション研究
    2019年 48 巻 1 号 29-48
    発行日: 2019/11/30
    公開日: 2019/12/03
    ジャーナル フリー

    Audio Visual Translation (AVT) is essential for importing and exporting moving pictures overseas. Dubbing and subtitling are the two processes involved in AVT. While dubbing is mainstream in Japanese terrestrial TV broadcasting, this was not the case at its inception. Dubbing emerged as a way to facilitate interaction between senders and audiences. This research investigated the dubbing process in NET (Nippon-Educational-Television, current TV Asahi). NET was the forerunner of AVT in Japanese TV from the 1950s to the 1970s. The translation norms of the sender were clarified by analyzing chronological changes in the form of the AVT used and the interaction between senders and audiences in Japanese TV. The study draws the following conclusions: 1) A significant degree of overlap exists between accountability and expectancy norms. The strength of expectancy norms was emphasized by Chesterman (1997) and was verified by this study. 2) Comprehension and naturalness used to be viewed as the standard in expectancy norms. However, the growing emphasis on richness and identity of expression overtook these previously held standards. 3) The norms were found to be stronger for adult programs and theater-movies than for children’s programs and television movies.

  • *王 温懿
    日本映画学会例会報告集
    2019年 8 巻
    発行日: 2019/06/22
    公開日: 2024/03/25
    会議録・要旨集 フリー
  • 中島 晋作
    映像学
    2023年 109 巻 68-88
    発行日: 2023/02/25
    公開日: 2023/03/25
    ジャーナル フリー

    本論文は、増村保造の映画に現れる空間の特殊性を考察する。増村の映画には、男女間の非対称な権力構造を内包した閉ざされた空間が頻出する。これまでの増村に関する批評では、そのような空間の持つ閉塞性を打破する存在として、俳優、特に女性の身体に着目した論考が多かった。とりわけ、増村の多くの映画で主演として存在感を放った若尾文子が、増村映画を論じる際の重心として、論者の関心を引いてきた。本研究では、増村保造の映画における、男女を閉じ込める閉ざされた空間としての「閉域」に着目し、このような閉域が映画にどのようなかたちで現前しているのかを分析する。

    まずは、『盲獣』(1969)の美術セットによる特異な「閉域」の存在に着目する。この映画と江戸川乱歩による原作小説との差異の分析を通して、映画においては閉域を満たす暗闇が強調されていることを明らかにする。また、やはり閉域の暗闇を胚胎する『音楽』(1972)においては、閉域の暗闇が、その外部空間へも拡張することを論証する。これらの映画を分析することによって明らかになるのは、増村の映画空間における暗闇の重要性である。最後に、増村保造の初期作品における暗闇の位置づけを分析することで、暗闇の「黒」という色彩が、封建的な家族制度や社会構造からもたらされた権力性を内包していたことを明らかにする。

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