本稿は, 正規雇用女性の就労継続の達成と, その出産に伴う休暇の代替要員を担う非正規雇用女性の出現という, 近年顕在化する社会的分離の問題を, 1945年から75年にかけての日教組の産休代替教員をめぐる運動に着目して考察する. 日本では1990年の「1.57ショック」以降, 女性の労働力化や就労継続が論議の的となってきたが, 本稿で着目する教員職は, 産休を取得する女性に対して, 別の職員を代替する産休代替教員制度を, 1960年代に実現した. この産休代替制度は, 先行研究において, 他の職業が突破できなかった産休取得保障を実現し, 「主婦化」の進行する時代に, 女性教員の就労継続に貢献したと捉えられてきた. 一方, 同制度は, 臨時的任用である産休代替教員の不安定就労を伴っていると問題視されたが, 制度成立の経緯そのものは未解明だった. そこで, 資史料分析と補足的にインタビュー調査を用いて, 産休代替教員をめぐる運動を考察した. その結果, 日教組婦人部は, 制度構想時から代替教員の処遇に着目し, 低処遇を克服しようと試みたことを明らかにした. 一方, 運動は, ジェンダーを超えて広がることはなく, 当初の構想は実現にいたらなかった. この歴史事例は, 「ジェンダー間格差」克服の難しさとともに, 女性の労働力化という現代の政策的課題を考える際に, 多様な社会的分離を視野に入れた包摂的な視点なしには, 女性の階層化を招きかねないことを示唆する.
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