五山僧太極の日記である『碧山日録』は応仁の乱前後の社会と寺院の様子をうかがう貴重な史料として評価が高いものの、その考察は十分ではない。本稿は当該日記の解明を目的として、同書内での中国史書への言及に着目し、太極の漢籍への取り組み姿勢を検討するものである。合戦・飢饉といった同時代の世の動向や、『漢書抄』との関わりといった観点による考察から、当該日記、ひいてはこの時代の漢籍享受の様相の一端を垣間見た。
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