本稿の課題は, 1940年代以降フランクフルト学派から分離したエーリッヒ・フロムの社会心理学を, 再び近代・モデルネ論の観点から再構成することにある。マルクーゼに代表される多くの批判者は, フロムの倫理主義を, 管理社会においては同調主義のイデオロギーに転化せざるをえない, として批判する。しかし, フロムの見る近代社会の抑圧的構造から解放されるためには, 抑圧に対する「批判」だけでなく解放のための「倫理」が不可避的に要請されねばならない。それゆえ, アドルノ=ホルクハイマーが自然を支配する理性に対して徹底した「批判」理論を構想したのに対し, フロムは病理的理性 (知能) に対する批判と同時に理性の「倫理」学を構築したのである。フロムは, なにゆえ理性への希望を堅持しえたのか, また自然と理性の関係をどのように捉えていたのか。本稿は, その答えをフロムが依拠したスピノザの自然的理性 (自然の光) の働きに求めるものである。
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