本研究の目的は、広川晴史という人物像から、反芸術という動向および評論家の宮川淳が主張した「日常性への下降」という現象を考察することである。
反芸術とは、1960年前後の日本の美術界において、絵画や彫塑といった伝統的な表現形式を否定しながら、新しい表現のあり方を模索した動向のことである。一方の「日常性への下降」とは、宮川がその動向を分析したさいに用いた言葉で、芸術が卑俗で日常的なものになったということを示唆している。
本研究では、その反芸術と「日常性への下降」という現象を、広川という人物像から再考することで、この動向と現象に新たな解釈を付け加える。広川は、反芸術における重要な活動や局面にたずさわりながらも、〈芸術家ではない〉という興味深い位置づけにある人物だ。そのような人物像から反芸術および「日常性への下降」という現象を考察することで、本研究では次のことを主張する。
1つ目は、反芸術という動向の極致に位置づけられるのは、その動向の代表的なグループだとされている〈ネオダダイズム・オルガナイザー〉や〈ハイレッド・センター〉などの作家らではなく、ほとんど素人だといってよいこの広川という人物だということ。2つ目は、この動向によって日常性へ下降したのは、芸術だけではなく、〈芸術家や芸術活動〉も卑俗なものに下降したということだ。
抄録全体を表示