【背景と課題】
サハラ以南アフリカ地域では,1980年代以降構造調整政策(SAP)が導入され,タンザニアにおいても同様に経済危機への対応および貧困削減のため経済自由化が進められた。日本政府は,コメ増産を通じた貧困削減と経済成長を目指したキリマンジャロ州ローアモシ灌漑地区(LMIS)計画を進め,1987年には圃場整備を伴う用排水分離型の近代的灌漑施設を完成した。その後も技術協力を通じて「近代的」稲作技術の導入を図った。LMIS計画は国家事業であったが,SAP導入により,地方政府と農民の管理のもとで運営されることとなった。
タンザニアの労働者の約50%は女性であり,女性労働者の84%は農業従事者である。女性が土地所有もしくは慣習権を保有している割合は,全農家の20.8%であるが,女性の所有面積に関しては統計が存在しない。
タンザニアでは土地は国家が所有するが,経済の自由化に伴い土地売買が認められるようになり,慣習的保有権も同時に存在する。LMISにおいて,水利権は原則的に土地所有権に付随している。さらに,慣習的水利権が併存しているために,上流と下流の間で水配分の不均衡が生じている。女性農民は多くの農作業および灌漑施設補修作業に従事しているものの,土地所有権を有しないため,灌漑組織のメンバーになることができない。また,伝統的なジェンダー規範により,女性が水管理や配分に関する意思決定過程に参加することは難しく,水争いが激化すると水を入手するのが困難な状況になる。
【目的と手法】
本稿の目的は,近代的灌漑稲作の導入に伴う土地の再配分を検証し,圃場の所有および水配分への影響をジェンダー視点から明らかにすることである。土地所有および水利権に見られるジェンダー格差の要因を分析し,より公正な土地所有および水利権のあり方を明らかにしたい。調査手法は,既往研究レビュー,2010年7月および2011年11月に実施した面談調査,モシ県LMIS事務所から収集した土地登録簿(2004~2010年)をコンピューター入力した統計処理である。本稿は,以下の3つの論点から構成されている。1)ローアモシ灌漑地区開発の農業近代化の影響,2)土地再配分の実施とその水利権の変化,3)土地再配分と水利権におけるジェンダー格差,そして結びである。
【分析結果】
LMISは,約1,100haの灌漑稲作圃場と,1,200haの畑作地区から構成される。主に2つの水源があり,4村(5地区)から成る。1耕区は0.3haで,所有面積により畦区に分割される。女性農民が所有する圃場面積の割合は地区により異なるが,平均16.8%である(表1)。LMIS開始前に稲作をしていたのは一部の村のみである(表2)。
事業後は水争いにより女性農民が灌漑用水にアクセスすることが困難になった。その要因を分析するため,1987年当時に遡り土地再配分を検証した。土地再配分は,当時キリマンジャロ州灌漑事務所が管轄しており,土地所有形態や保有面積の測量などが十分に調査されないまま圃場が再配分された。その結果,1)多くの土地を失い損失が補償されない課題,2)灌漑地区対象外の地区の水利権の主張,3)上流域における独占的な慣習的水利権の継続,4)不在地主の存続による灌漑組織運営の困難,5)実質的には耕作者の大多数を占めるにもかかわらず慣習的に土地所有から排除されてきた女性農民の水へのアクセスの問題,などが残存し水利権争いの継続の要因にもなっていることが明らかになった。
さらに,土地登録簿を分析した結果,LMIS内の土地所有者は1,845名存在することが判明した(表3)。女性は全土地所有者の21.1%を占めるが,土地所有面積は16.8%に過ぎない。また,女性の平均土地所有面積は男性より25%少ない。男性平均面積は6,014m
2に対して女性は4,524m
2である。さらに,3,000m
2以下の小規模農民の割合は,男性42.3%,女性49.2%である。これらは,固有の慣習や伝統により女性の相続権や所有権が認められていないことが大きな要因であるが,稲作や代替的経済活動を通じた増収で新たに土地を購入する女性が出現していることも発見された。自助組織化を通じ土地を賃借し耕作する女性グループが形成され,貧困女性世帯における社会資本形成の萌芽も見られた。
【今後の課題】
1987年以降の土地所有面積や使用形態に関する変化については更なるデータが必要である。さらに,土地を所有しない賃耕者を含むジェンダー別の階層分化や生計戦略の多様化を明らかにし,より公正な土地再配分および水利権へのアクセスの過程を明らかにすることが課題である。
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