旭川家具産地は,福岡県大川市や広島県府中市に並んで古くから「たんす」を中心とする箱物家具の産地として知られてきた。しかしながら住宅事情や生活習慣の変化から「たんす」市場の縮小が起こり,箱物から他品目への転換が求められてきた。他産地が今日においても転換に苦しんでいる中で,旭川家具は1980年代からスムーズに箱物から脚物への製品転換を実現してきた。従来の研究では,その成功の理由としてヴィジョンを持った指導者たちとそのネットワークが中心に掲げられてきた。本稿ではそうしたビジョナリーで戦略選択的な適応に加えて1965年から今日までの電話帳データというミクロデータを用いることで,淘汰的適応の視点から,旭川産地内では老舗企業の箱物支配と後発の小規模企業の脚物・棚物の開拓という産地内分化が起こり,それらの世代交代を通して,今日の環境への産地の適応という素地を作った可能性があることを仮説的に示唆した。
抄録全体を表示