本稿は,日本における会社制度導入期の状況・特質を具体的に提示した。慶応2年から慶応3年にかけ,五代友厚と寺島宗則の商社取建促進運動・討幕政治戦略・家老小松帯刀の支持を背景に石河確太郎が従来取り組んできた大和薩州産物会所開設・大和交易再興とコンペニー取建(会社制度導入)の試みを石河が同時に担当し,これが薩州商社取建の端緒となりその特徴を形成する。また同時進行で石河は畿内での機械紡績所(後に堺紡績所)建造に取り組む。当初は,大和薩州産物会所開設・大和交易再興が前面,コンペニー取建が後面に位置付けられていたが,政治状況が急速に展開,石河の経済・技術改革中心地が和州から泉州堺へと移行し,寺島を相談役に「薩州商社発端」「薩州商社条書」起草が進捗するに従い,薩州商社取建の内に大和薩州産物会所開設・大和交易再興など薩州産物会所を再編成する方針に転換していく。その結果,慶応3年6月の「発端」「条書」表明段階で薩州商社は,(1)外国貿易(危機的入超)を前提に在来の薩州産物会所の枠組みに立脚しつつ薩州産物会所を自己内に再編し,(2)その敷地内に建造予定の堺紡績所運営も包摂するという特徴を備える。
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