本稿は, 若年労働力の流動化を, 「高付加価値産業化」や「第三次産業化」を中心とする, 石油危機後の日本の通商産業的な変動の中に位置づけて検証することを目的とする.こうした「脱工業化」は日本に限らず先進国一般で進んだものであるが, 日本の経験は, 1) 「会社主義」により外部/内部労働力が峻別され, 雇用の保護はすなわち内部労働力の保護を意味していたこと, 2) 労使の強い協調と財界主導の経済運営により, 石油危機の影響が他の先進国に比べて相対的に小さく, 英米でもたらしたような大企業の優位性を突き崩すに至らなかったこと, 3) この過程が不可避的に増大させる低賃金労働職種を移民ではなく自国民が担ったこと, という特徴を持つ.これらの特有な条件の上で, 現在主に経済的悪影響として語られている若年労働力の流動化は, 1970~80年代にかけて雇用安定と経済発展の両立をもたらすものとして肯定的に論じられてきた.その検討を通じ, 会社を主要な分配単位におく日本的福祉社会が, 「個人化」のリスクを若年層に負わせる形で存続してきたことを指摘する.その過程の検証を通じ, 日本的な特徴をもつ福祉社会の終焉を, 特定の弱者の生成としてではなく, 個人的なリスクの偏在的配分の問題として解釈する視座を提示する.
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