(1) 株井戸とは,輪中内部の地形的相違にもとつく用水の取得と利用,排水をめぐる上下郷の利害の対立,その矛盾の上につくりだされた掘抜井戸の制度である. (2) 紛争の舞台となった大江排水区は,高地域と低湿地域に2分され,面積もほぼ等しく,対立を助長する諸条件を具えていた. (3) 掘抜井戸に対し,上郷は既得権を主張し,下郷は「人作の水は一滴も引請不〓申様仕度候」の如く根本的に相違していた. (4) 1854みためし年に484本の井戸があったが,6ヵ年の「害益見様の期間」を経た後,双方の示談により1860年に井戸をもった村々が出金し,弐間の樋門を新設することで妥協が成立した.井戸の数は1862年-386本, 1875年-806本,1883年-1,421本に増加した. (5) 株井戸の取締りは幕府も県も示談を基軸としたが,明治に入ってからは「条令」に発展した. (6) 輪中の近代化は外水対策-内水処理-内面干拓-土地改良の4段階を経て進められたが,株井戸閤題を内水問題の範疇として考察するとき,その意義が大きい.
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