戦後日本の精神病床入院の急拡大は、主に「行政収容」(精神衛生法下の措置入院)、「公的扶助」(
生活保護法
下の医療扶助入院)、「社会保険」(公的医療保険による保険給付)という3つの異なる制度体系からの公的支出に支えられていた。現在、約30万人に及ぶ精神病床入院患者の地域移行が喫緊の政策課題とされているが、この複線的な入院形態が高水準の精神病床入院の形成に果たした歴史的役割は明らかにされていない。本論文は、上記のような問題意識の下、2つの実証的な課題に取り組んだ。第一に、精神病床入院における「行政収容」、「公的扶助」、「社会保険」の3つの公的支出の枠組みは、戦前から戦後へと継承されたという仮説(仮説I)を検証した。第二に、この3つの公的支出経路における戦後の独立した領域での制度改革が、それぞれの経路からの入院者数や公的支出規模の急激な拡大に繋がったという仮説(仮説II)を検証した。
仮説Iの検証においては、まず「行政収容」による精神病床入院の制度的起源として精神病者監護法の公的監置を位置づけ、戦後精神衛生法の措置入院との連続性があることを論じた。次いで「公的扶助」による入院の前史を戦前期救護法の医療収容救護に見出し、その規模や運用実態、そして
生活保護法
の医療扶助入院との関係について検討を加えた。最後に「社会保険」による入院については、戦前期には量的には限定的だったが、戦後の「国民皆保険」下の精神病床入院へと繋がるものであったことを論じた。以上のように、戦後の3種類の精神病床入院体系は、未成熟とはいえすでに戦前期にその原型を見出すことが可能であった。
仮説IIについては、上述した3類型における戦前から戦後にかけての精神病床入院や公的支出規模の拡大の歴史的動態を検証し、戦後の精神病床入院の増加が、それぞれの領域における重要な戦後改革のタイミングに応じていることを明らかにした。特に、戦後直後から1960年代にかけて一貫して精神病床入院の拡大を財源面から支えたのは、精神衛生法下の措置入院というよりも、新旧の
生活保護法
における医療扶助入院や、皆保険への道を歩みつつあった公的医療保険による入院であり、これらが戦後の精神病床入院増のベースとなったことを論証した。
本稿の主要な成果は、第一になぜ日本の精神病床入院には3つの経路からの財政的支出が構造化されているのかという問いに対して歴史的な視点から回答を与えたことである。第二に戦前から戦後にかけての精神病床入院増と公的支出拡大の長期的な動態を3類型ごとに検証し、各制度内部の諸改革がその後の入院増と連動していることを明らかにしたことである。
以上より、戦後の精神病床入院に対する複線的な公的支出パターンは、強い政策的意図をもって構築されてきたのではなく、戦前期に既に未熟ながら成立していた3つの枠組みを引き継ぐ形で始まり、その3領域における独立した制度改革を契機として、精神病床入院増をもたらしたことが明らかになった。
抄録全体を表示