詳細検索結果
以下の条件での結果を表示する: 検索条件を変更
クエリ検索: "砺波市美術館"
3件中 1-3の結果を表示しています
  • ―孔雀図との比較を通じて―
    中川 麻子
    人間生活文化研究
    2022年 2022 巻 32 号 385-398
    発行日: 2022/01/01
    公開日: 2022/06/16
    ジャーナル フリー

     明治時代,絵画の孔雀図を下絵にした孔雀図案の美術染織作品が数多く制作され,海外で高く評価されていた.本研究は美術染織作品の孔雀図案に注目し,その変遷と背景を明らかにすることを目的に3つの視点から論じた.

     まず,江戸時代から明治時代に描かれた「孔雀図」の変化については,海外万国博覧会出品に向けて西洋の画法を取り入れ,外国人が理解しやすいモチーフとダイナミックな構図へ変更が指示されたこと,また明治20年代半ばに「孔雀と桜」を組み合わせた新しい孔雀図が博覧会受賞や御下命品となり,新聞記事などを通じて広く知られ「孔雀と桜」は日本絵画の新しい主題として定着したことを明らかにした.

     次に,博覧会に出品された美術染織作品の孔雀図案について,モチーフと構図を当時の孔雀図と比較した.海外万国博覧会を繰り返す中,美術染織作品の図案は,伝統的な孔雀図の背景を取り除き,つがいの孔雀を中心とした構図が定番となった.構図と図案の定型化により,海外で安定した評価を獲得した.しかしこれが美術染織分野全体の停滞も招き,明治30年代以降は,美術的な作品ではなく,商品として使いやすい作品形式と図案に移行した.

     最後に,明治20年代以降の皇室関連事業に用いられた孔雀図案のイメージについて考察した.明治宮殿や東宮御所などの皇室ゆかりの建造物に,孔雀意匠の美術染織作品が飾られ,その様子は新聞記事などで世間に知られ,孔雀図案の美術染織作品は,格式の高い作品として社会に認知された.孔雀図案の美術染織作品が,大正2(1913)年のオランダ平和宮殿への贈答品に選ばれたことからも,明治時代末期には「孔雀と桜を中心とした百花百鳥図」の図案が,日本を表す意匠として定着し,国際的にも認知されていたことを明らかにした.

  • ―富山県立近代美術館で行った実践の参加者からの反応をテキストマイニングの手法で分析して―
    隅 敦
    美術教育学研究
    2017年 49 巻 1 号 193-200
    発行日: 2017年
    公開日: 2018/03/31
    ジャーナル フリー

    本研究は,美術館の所蔵作品を教育的に活用するための要件を導きだそうとしたものである。まず,先行研究を分類すると,美術館における優れた実践であっても参加者の反応を取り上げた研究が少ないという課題が浮き彫りになった。そこで,筆者の実践してきた大学の教員養成における必修講義,教員免許状更新講習,子供対象のワークショップの参加者アンケートの自由記述や聞き取り調査をテキストマイニングソフトを用いて分析することにした。その結果,積極的に本物の作品との出会いをつくるために美術館訪問の機会の設定を意図的に行うことや,チラシの配布や入館の誘いを行うことの有効性が確認できた。さらに,作品を前に自由な対話を奨励する無理のない鑑賞内容の設定が有効であることや,所蔵作品を利用するからできる年度ごとの内容の構成の見直しが可能であることも分かってきた。

  • 中川 麻子
    デザイン学研究
    2012年 59 巻 4 号 4_1-4_10
    発行日: 2012年
    公開日: 2013/01/17
    ジャーナル フリー
    明治 20年代から後期の国内外の博覧会に出品された美術染織作品に焦点をあて、考察を行なった。国内外7博覧会に出品された染織作品について、作品の特徴、形式変遷、制作背景を調査した。その結果、以下のことが明らかになった。 1890(明治23)年第3回内国博には実用的な品を中心に出品されていたが、1893(明治26)年シカゴ万博に出品された大型かつ鑑賞目的の染織作品が高く評価されたことを受け、1895(明治28)年第4回内国博には、より絵画的表現の強い作品が出品された。作品は絶賛され、美術染織の制作は最盛期を迎えた。しかし1900(明治33)年パリ万博では美術部出品が認められなかった。これを契機に美術染織作品は徐々に小型化すると共に実用性が復活した。さらに明治時代後期には、多様な作品形式へと変化した。この作品傾向と形式の変化から、シカゴ万博からパリ万博までを「前期美術染織」とし、第5回内国博以降を「後期美術染織」とした。
    また内国博出品者の調査から、美術染織の制作は京都の染織業者に限定され、特に博覧会事務に関連のある特定業者が、美術染織制作の中心的立場にいたことが明らかになった。
feedback
Top