2022 年 2022 巻 32 号 p. 385-398
明治時代,絵画の孔雀図を下絵にした孔雀図案の美術染織作品が数多く制作され,海外で高く評価されていた.本研究は美術染織作品の孔雀図案に注目し,その変遷と背景を明らかにすることを目的に3つの視点から論じた.
まず,江戸時代から明治時代に描かれた「孔雀図」の変化については,海外万国博覧会出品に向けて西洋の画法を取り入れ,外国人が理解しやすいモチーフとダイナミックな構図へ変更が指示されたこと,また明治20年代半ばに「孔雀と桜」を組み合わせた新しい孔雀図が博覧会受賞や御下命品となり,新聞記事などを通じて広く知られ「孔雀と桜」は日本絵画の新しい主題として定着したことを明らかにした.
次に,博覧会に出品された美術染織作品の孔雀図案について,モチーフと構図を当時の孔雀図と比較した.海外万国博覧会を繰り返す中,美術染織作品の図案は,伝統的な孔雀図の背景を取り除き,つがいの孔雀を中心とした構図が定番となった.構図と図案の定型化により,海外で安定した評価を獲得した.しかしこれが美術染織分野全体の停滞も招き,明治30年代以降は,美術的な作品ではなく,商品として使いやすい作品形式と図案に移行した.
最後に,明治20年代以降の皇室関連事業に用いられた孔雀図案のイメージについて考察した.明治宮殿や東宮御所などの皇室ゆかりの建造物に,孔雀意匠の美術染織作品が飾られ,その様子は新聞記事などで世間に知られ,孔雀図案の美術染織作品は,格式の高い作品として社会に認知された.孔雀図案の美術染織作品が,大正2(1913)年のオランダ平和宮殿への贈答品に選ばれたことからも,明治時代末期には「孔雀と桜を中心とした百花百鳥図」の図案が,日本を表す意匠として定着し,国際的にも認知されていたことを明らかにした.