〔目的・資料・方法〕小稿は「世宗実録地理志」・「新増東国輿地勝覧」などを資料として,その記載するところを若干の表に整理しつつ,朝鮮,とくに李朝における城邑の分布と規模との変遷について,イクステンシィブな観察を加えようとしたものである.
〔観察結果〕 1) 城邑の分布は,いずれの時期においても,南鮮2道,ことにその臨海部と北鮮2道とに集中的であり,小都邑よりは大都邑に発達している.これは邑城築造の主月的が,倭寇および北方民族の侵入を防ぐところにあつたことを示す. 2) 城邑発達の時期は,高麗以後李朝初期までにあつたと思われるが,李朝中期以後においても創築・改築がつづけられ,総数約100~13Oを算えた. 3) 一方,山城の構築は3世紀頃から行なわれたが,少くとも李朝に入つてからは,山城→邑城の改・移築コースを進んだ模様で,さらに防禦の必要を感ずる時期・地域においては,邑城どは別に,山城,あるいはより多くの場合,関墾が設定された. 4) 邑城の規模についてみるに,城周は地方制度上のクラス (これは都邑の戸口規模にほぼ平行する)におおむね相応しているが,城高は平均10メートル程度で,クラスの上下,あるいは地域の特色には関連がうすい. 5) 邑城の築造材料は,時代が下るとともに土築→石築の傾向を強めるが,石築城が古くから発達していた点を,朝鮮城郭史の一特色として指摘しうる.なお,北鮮2道がいささか他道と趣を異にし,満州の囲郭形態の影響圏内にあるのが興味をひく.
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