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クエリ検索: "神輿"
1,356件中 1-20の結果を表示しています
  • ―明治・大正期京都祇園祭に注目して―
    中西 仁
    日本民俗学
    2021年 306 巻 1-34
    発行日: 2021/05/28
    公開日: 2023/04/19
    ジャーナル フリー

     本研究では、近代、明治・大正期の京都祇園祭の

    神輿
    場での揉め事、喧嘩、暴力沙汰などの「
    神輿
    荒れ」を対象に、
    神輿舁きたちが神輿
    荒れの場をどう捉えていたかという「場の意味」、
    神輿舁きたちがどのような意図をもって神輿
    荒れをおこしたか、
    神輿
    荒れが結果としてどのようなことにつながったかという「荒れの目的または意味」、
    神輿荒れを起こした現場での神輿
    舁きたちの「集団意識」、という3つの点に着目し、個々の事例から
    神輿
    荒れの分析を試みた。

     その結果、平等や自由、生存などに関わる公的怨みである「公怨」をはらすことが目的の「公怨型」、目立ったり売名を目的とする「劇場型」、他の集団との喧嘩、揉め事を繰り返すことによって、それぞれの集団や地域のローカルアイデンティティを強化する「抗争型」の3つの類型に分類することができた。類型化という方法及び本研究が提示した三類型は、祭礼やイベントでの揉め事、喧嘩、暴力沙汰の原因、背景、構造を理解するための補助線となろう。

     類型化しただけでは、

    神輿
    荒れがなぜ起こるかを解明したことにならない。
    神輿
    荒れとは、当事者たちの一時的な感情による突発的な現象ではないからである。本研究では
    神輿
    舁きたちの日常的な願望、生活態度、社会との関係を、
    神輿
    荒れの根底にある「論理」として注目した。本研究が対象とした明治・大正期の京都祇園祭の
    神輿
    舁きたちは、都市下層の労働者、雑業者が中心である。彼らには「強烈な承認願望」があり、彼らの生活態度として「自由奔放な生活感覚」があげられる。そして彼らの社会での立ち位置には「周縁性」が認められる。祭りがハレの場であるからこそ、これらの特徴が何かのきっかけで刺激され集団意識として凝集し、行動につながったのである。

     

    神輿
    荒れの頻発から終息の過程を検討する中で、
    神輿荒れとは新たな神輿
    舁き集団の祭礼への定着の過程であることが判明した。定着後は
    神輿舁きたちの神輿荒れへの情熱は神輿舁きの技術を他の神輿
    舁き集団と競う「スポーツ化」「競技化」に移行した。

  • ――東京圏の神輿渡御における町会―神輿会関係を事例として――
    三隅 貴史
    ソシオロジ
    2020年 64 巻 3 号 59-76
    発行日: 2020/02/01
    公開日: 2022/04/07
    ジャーナル フリー

    本論文の目的は、祭礼に自己充足の価値づけを行う地域外参加者が多数を占める東京圏の

    神輿
    渡御において、なぜ秩序だった
    神輿
    渡御が可能なのかという問いをとおして、高齢化・人口減少時代の祭礼における共同性について論じることにある。そのための事例として、台東区のA
    神輿
    会―一〇の町会関係と、四つの町会による祭礼運営を取り上げる。 祭礼は参加者の統合のための行為であり、それ 祭礼は地域外参加者などの個々人の楽しみのための行為であり、共同性 は成立しないという二つの視角から分析されてきた。これに対して筆者は、東京圏の
    神輿
    渡御を、価値をめぐる闘争のその時点での決着にもとづき、異なる帰結が立ち現れうる行為として分析する。 現代の
    神輿
    渡御において秩序が可能な理由は、
    神輿
    渡御の三者関係が成立しているからだ。
    神輿
    渡御の三者関係とは、町会―町会に協力的な
    神輿
    会―自己充足を優先する
    神輿会の三者関係によって神輿
    渡御が成立していることをさす。 この中では、町会が自らに協力的な会により多くの資源と特権を与えることで、その会を町会のためにふるまわせ、自己充足を優先する会を管理させている。その結果町会は、秩序だった
    神輿
    渡御と共同性を成立させている。 三者関係にもとづき、東京圏の
    神輿
    渡御において共同性が再成立している状況を、社会統合論の文脈から地域の再統合と総括する。再統合とは、地域外参加者の貢献によって、町会にとってあるべき
    神輿
    渡御が成立したことによる、その地域に愛着を持つ人びとの間での共同性の再成立をさす。

  • ―神輿会に注目して―
    三隅 貴史
    日本民俗学
    2017年 292 巻 95-125
    発行日: 2017/11/30
    公開日: 2024/08/20
    ジャーナル フリー

     現代の東京周辺地域では、複数の地域の

    神輿
    渡御において、「江戸前」の美学(「江戸前」の表現を理想の表現とする美的感覚)に基づく表現が用いられており、表現の地域差は顕著ではなくなっている。本論文は、そのような「江戸前」の美学が成立していく過程を、「
    神輿
    会」(年に複数回、祭礼やイベントにおいて
    神輿を担ぐことを続けている神輿
    愛好家による集団)を主要な研究対象として明らかにするものである。現代の祭礼に関する先行研究の多くでは、一つの祭礼が主要な研究対象とされてきたため、複数の祭礼間での変化を論じた研究は必ずしも十分とはいえない。しかし、複数の祭礼間での変化に注目することは、居住地を共にしない人びとが祭礼に参加していることの影響を明らかにできる点において重要である。

     一九五〇年代後半に誕生した

    神輿
    会は、一九六〇年代半ばに、三社祭の宮入りと庫入れにおける鳶の表現を模倣することで「江戸前」の表現の原型を創造した。さらに一九七〇年から一九八〇年頃の
    神輿
    会ブームによって、そして出版・放送メディアでの発信が強まったことによって、「江戸前」の表現が
    神輿
    会の間で拡大した。そして同時期に、地域の人びとは、
    神輿
    会との接触の中で、「江戸前」の表現の格好良さや、交通規制への対応の必要性からこれらを受容し、表現を変化させてきた。この三段階を経て「江戸前」の表現は、美学として成立するに至ったが、一部の地域では、「江戸前」の表現との接触の中で、過去の「伝統的」な表現に回帰する変化が生じた。

     この事例から筆者は、現代の東京周辺地域の祭礼間では、表現に関する美学が成立していることによって、複数の祭礼における表現に「標準化」(美学に準拠する方向へ変化する現象)と「差異化」(美学との差異を強調する方向へ変化する現象)が生じていること、そして、現代の東京周辺地域の祭礼は、娯楽意識が強まりながらも、信仰が再確認されていることを指摘できると考える。

  • 吉田 純一
    建築史学
    1996年 27 巻 115-120
    発行日: 1996年
    公開日: 2018/08/19
    ジャーナル フリー
  • -八王子祭山車はどのように認識されているか-
    *坪郷 英彦, 工藤 芳彰, 伊藤 真奈美
    日本デザイン学会研究発表大会概要集
    2008年 55 巻 F08
    発行日: 2008年
    公開日: 2008/06/16
    会議録・要旨集 フリー
    本報告は、祭礼時において、人工物が組織や人の動きとどのように連動しているのか、また、人々はその人工物をどのように認識しているのかを考察するものである。研究対象は、例年8月初頭に開催される「八王子まつり」において中心的な役割を担う山車である。今回は、上地区を対象とした市委託調査の初年度の成果をまとめた。 同祭礼の基本形は、上地区の鎮守である多賀神社の祭礼に、各町内の山車の曵き廻しが加わったものである。祭礼の中心は神事であり、
    神輿
    に移った多賀神社の祭神の動きである。その一連の形が信仰心とともによく継承されている。 今後も調査を継続し、山車の形態の記録を続ける。最終的には、町に残る伝統的なネットワークのなかで、祭礼や山車が運営されていることを明らかにし、象徴的な人工物の継承の意味を再考したい。
  • 大島 明
    人文地理
    2022年 74 巻 4 号 389-407
    発行日: 2022年
    公開日: 2023/02/14
    ジャーナル フリー

    現代,氏神の祭りにおいて,その担い手は,必ずしも氏子区域の居住者ではなくなった。その1例として,京都市西院の春日祭における担い手について,その居住地の変遷を明らかにすることが本稿の目的である。資料として,1967年と2016年の『

    神輿
    輿丁名簿』を用い,そこに登載された輿丁の居住地を個人レベルで分析した。春日祭では,近代初頭,氏子区域の集落(「旧町」)を東西に2分し,それぞれの
    神輿
    は区域内の輿丁で担われていた。京都市との合併前後から進行した都市化にともない,輿丁の減少が始まった。戦後,都市化により流入人口が増加した。しかし,輿丁になる者は少なく,
    神輿
    渡御祭の存続が困難になった。そこで,相互協力組織として京都
    神輿
    愛好会が設立され,区域外から輿丁が導入された。これにより,
    神輿
    渡御祭は存続された。しかし外部からの応援が大多数になると,
    神輿
    巡幸の主導権を氏子がいかに維持するかが課題となった。そのため,氏子の組織はその増強を図ったのである。その結果,2016年には氏子の輿丁は増員され,その居住地は「旧町」のみならず氏子区域の全域に拡大した。また,区域外では輿丁の居住地は京都市全域のほか遠隔地の長野県にまで及んだ。

  • 台湾における「日本神」と日本式神輿を事例として
    *陳 珏勳
    日本文化人類学会研究大会発表要旨集
    2024年 2024 巻
    発行日: 2024年
    公開日: 2024/08/02
    会議録・要旨集 フリー
    本発表は、台南市近郊の海尾地域にある「日本神」が祀られている鎮安堂(飛虎将軍廟)を事例として、地元の信仰者と流動的な担ぎ手グループへの聞き取り調査をもとに、現地の台湾人にとって、「日本神」と
    神輿
    がどのような意味を持っていたか、「日本神」と地元の神との関係はいかなるものであったかを明らかにし、人々の信仰の実態について考察することを目的としている。
  • 福田 アジオ
    法制史研究
    1990年 1990 巻 40 号 296-299
    発行日: 1991/03/30
    公開日: 2009/11/16
    ジャーナル フリー
  • *中里 亮平
    日本文化人類学会研究大会発表要旨集
    2019年 2019 巻 D21
    発行日: 2019年
    公開日: 2019/10/01
    会議録・要旨集 オープンアクセス
    神輿
    中心の祭礼である東京都府中市大国魂神社の例大祭くらやみ祭を事例に、祭礼の構造、システムに組み込まれていない暴力、もめごとが昭和30年代に激しい世間からの批判を受け、変容していった様子を描写する。また、祭礼側がそれにいかに対応したのか、その際にどのような理論武装を行い、それがどれだけ通用したのか、あるいはしなかったのか、について論じる。
  • 東予の牛鬼に関する予備調査報告
    片岡 樹
    日本文化人類学会研究大会発表要旨集
    2017年 2017 巻
    発行日: 2017年
    公開日: 2017/05/26
    会議録・要旨集 フリー
    愛媛県菊間町の秋例祭に登場する牛鬼は、当初は妖怪として想像されたが、のちに疫病よけの御利益を期待され、今日に至っているものである。牛鬼は
    神輿
    とは異なり正式には神としての扱いを受けないが、にもかかわらずいくつかの場面では神の類似行為を遂行する。なかば祀られた存在であり、神に限りなく近づいてはいるがなおかつ神にはなれていない存在としての牛鬼から、神とは、宗教とは何かについて考えたい。
  • 井ヶ田 良治
    法制史研究
    1992年 1992 巻 42 号 229-231
    発行日: 1993/03/30
    公開日: 2009/11/16
    ジャーナル フリー
  • 愛媛県菊間町の牛鬼からみた神と妖怪
    片岡 樹
    文化人類学
    2021年 85 巻 4 号 623-639
    発行日: 2021年
    公開日: 2021/07/06
    ジャーナル フリー

    本稿は、愛媛県菊間町(今治市)の牛鬼の事例から、神と妖怪との区分を再検討することを試みる。菊間の牛鬼は、地域の祭礼に氏子が出す練り物であり、伝説によればそれは妖怪に起源をもつものとされている。牛鬼は祭祀対象ではなく、あくまで

    神輿
    行列を先導する露払い役として位置づけられているが、実際の祭礼の場では、
    神輿
    を先導する場面が非常に限られているため、牛鬼の意義は単なる露払い機能だけでは説明が困難である。祭礼の場における牛鬼の取り扱いを見ることで明らかになるのは、牛鬼が公式には祭祀対象とはされていないにもかかわらず、実際には神に類似した属性が期待され、
    神輿
    と同様の行動をとる局面がしばしば認められることである。また、祭礼に牛鬼を出す理由としては、
    神輿
    の露払い機能以上に、牛鬼を出さないことによってもたらされうる災厄へのおそれが重視されている。つまり牛鬼はマイナスをゼロにすることが期待されているのであり、その意味では神に似た属性を事実上もっているといえる。これまでの妖怪論においては、祀られるプラス価の提供者を神、祀られざるマイナス価の提供者を妖怪とする区分が提唱されてきたが、ここからは、事実上プラス価を提供していながら、公には祀られていない存在が脱落することになる。牛鬼の事例が明らかにするのは、こうした「神様未満」ともいうべき、神と妖怪の中間形態への分析語彙を豊かにしていくことの重要性である。

  • 竹元 秀樹
    社会学評論
    2023年 74 巻 3 号 571-573
    発行日: 2023年
    公開日: 2024/12/31
    ジャーナル フリー
  • *澤村 英子, 工藤 芳彰, 坪郷 英彦
    日本デザイン学会研究発表大会概要集
    2009年 56 巻 E08
    発行日: 2009年
    公開日: 2009/06/16
    会議録・要旨集 フリー
    本研究は、八王子旧市街上地区の祭礼にみる服飾デザインについて調査したものである。その理由は、服飾デザインが地域意識と密接に関わっているからである。その結果、その服飾デザインには、裃の導入がものがたる祭礼の演出や、揃いの浴衣や袢纏の減少が示す地域性の希薄化、登録袢纏にみられるデザインの実用性、伝統を伝える鳶職人の役割などを確認することができた。
  • 佃・月島の祭祀組織の事例研究
    有末 賢
    社会学評論
    1983年 33 巻 4 号 37-62
    発行日: 1983/03/31
    公開日: 2009/10/19
    ジャーナル フリー
    都市の祭礼の特徴は、地域社会、特に祭祀組織との関連で表われてくる。従来の都市祭礼研究では、祭礼の過程については把握できるが、地域住民の生活や都市の社会構造との関連ではまだ議論の余地があるように思う。
    そこで本稿では、東京都中央区佃・月島の住吉神社大祭を例に、祭礼の過程と構造を祭祀組織の重層性に視点を置きながら見ていく。まず氏子地区の地域特性を佃島と月島地区に分けて記述し、祭祀組織の形態の相違から佃島の祭りを祭礼の内部構造とし、月島の祭りを祭礼の外部構造とした。まず内部構造においては、祭祀組織である住吉講の組織原理として、年齢組と町組によって支えられる地縁性とそれに対するアイデンティティが確認された。しかし、その地縁性は次第に変化してきており、これに対する祭祀組織としての対応も重要である。それに対して祭礼の外部構造である月島地区においては町内会を基礎とする祭祀組織の形態が見られ、広域町内を氏子区域とし、多様な参加階層を含む都市祭礼の特徴が確認できる。
    以上のように祭礼を記述した後で、内部構造と外部構造の関係を地域社会構造の一つの反映として考察していく。内部と外部を区別する祭祀組織の形態は、住民の居住歴や居住形態と深くかかわっており、地縁性とその変化は大都市社会変動の過程の中で見ていかなければならない。最後に都市祭礼と都市民俗研究の意義と課題についても触れられる。
  • 西 和夫, 津田 良樹
    住宅建築研究所報
    1988年 14 巻 171-180
    発行日: 1988年
    公開日: 2018/05/01
    ジャーナル オープンアクセス
     新潟県上越市中ノ俣と愛媛県中島町二神島は,ともに過疎化の波に瀕した集落である。中ノ俣は山村,二神島は漁村で,戸数は80戸と150戸であるが,近年若者が次々に外へ出,人々は今後どうすぺきかを懸命に模索している。両集落とも,集落の空間構成,民家の平面や構造集落の歴史や人々の生活慣習など貴重な歴史的資料を伝えてきており,これらを正確に調査し分析することは,集落の史的価値を正しく認識し,過疎化の進むことを正める上に,役立つところも決して少なくないと考えられる。中ノ俣には,「くずや」と地元で呼ぶ茅葺屋根の家が60棟ほどあり,そのうち最も古いものは天明5年(1785)にまで遡る。平面は3間×3間または2.5間×3間のチャノマを中心とするほぼ共通した様相を呈している。二神島には江戸時代に遡る家7戸があり,主屋・ヘヤなどの建物がヒノラと呼ぶ中庭を囲んで建ち,いわば中庭形式とでも呼ぶべき配置をとるのが二神島の民家の特色である。両集落とも神社が1つだけあり,祭礼のとき御輿が出る。御輿が集落の中をねり歩く経路は中ノ俣は集落内をぐるっと一巡し,二神島は海沿いの道を往復するという相違を見せるが,ともに集落の空間をよく反映しており,中ノ俣の家々が散り散りに位置し,道がその間をぐるっと回ること,二神島の家々が海沿いの道の山側に密集することと深く結びつく。中ノ俣には家と家を交換する「えがえ」(家替)という慣習があり,二神島には家の中にさまざまな神を祀る慣習がある。ともに特色ある慣習で,集落の歴史と合わせて検討を進めている。調査はまだ中間段階で,今後も両集落を比較しつつ,調査研究を進める予定である。
  • 池内 泰
    人文地理
    2006年 58 巻 5 号 433-452
    発行日: 2006年
    公開日: 2018/01/06
    ジャーナル フリー

    Several studies have been conducted on the Matsuri, which are Shinto festivals or traditional local festivals in Japan; these have been focused mainly on folkloristic, sociological and anthropological aspects. The present research aims to analyze the formation of an annually-performed Shinto festival dedicated to a local deity by local communities from the point of view of the relations of the spaces where the rituals are held.

    The Matsuri starts with local people who will participate keeping away from secular life for a certain period ahead of the festival, in order to purify their souls and bodies. On the main day of the Matsuri, they perform the ritual in a shrine, traditional activities such as Kagura and Dengaku, which are ritual music and dancing performed in shrines, or Sumo wrestling and Yabusame (horseback archery), that are dedicated to their tutelary deity. Meanwhile, a Shinto priest or a representative of the community moves the tutelary deity from the shrine to a mikoshi, which is a miniature shrine. The mikoshi is then carried into the village, to bring the power of the divine spirit to the community. It is believed that renewed energy will pervade the village. Thus, the community reconfirms its relationship with the deity through this Matsuri.

    We paid attention to the passage of the mikoshi and to the spaces where the rituals are held. This is because the Matsuri organizes unrelated spaces and also influences the social structure of the community. The mikoshi is carried from the shrine to the Otabisyo which is located in the village plaza or on a village boundary, to the beach, to the cultivated fields, and so on. Then, it often returns to the shrine on a different course. Thus, these spaces are linked together and come to form a unity by the passage of the mikoshi. At the same time, the rituals help connect these spaces to the community’s daily activities.

    We aimed to analyze the formation of the festival Tenno-sai based mainly on a spatial perspective. The festival is performed between Yasaka-jinja shrine in Enoshima Island, Kanagawa Prefecture, and Koyurugi-jinja shrine, located on the opposite shore of Enoshima, on the one hand, and the tutelary shrine of Koshigoe area, Kamakura City, on the other. To elucidate our purpose, we investigated the spatial relationship that is symbolized by the Tenno-sai festival, and described and explained chronologically the various elements which are connected to each space on a step-by-step basis from beginning to end.

    On the day of the Tenno-sai, the festival begins with the main ritual performance in Hetsuno-miya, one of the Enoshima-jinja shrines. The participants, mostly parishioners of Yasaka-jinja, carry the mikoshi of Yasaka-jinja around Enoshima. Then the mikoshi is enshrined at Higashi-machi where the parishioners live, after which it is shoved and pushed at sea. Meanwhile, the mikoshi of Koyurugi-jinja is also paraded by parishioners around Koshigoe, and the timing of the passage of the mikoshi by the sea coincides with the Yasaka-jinja’s mikoshi. In the afternoon, the mikoshi of Yasaka-jinja comes over to Koshigoe. When the mikoshi of Yasaka-jinja is carried to Koshigoe, the mikoshi of Koyurugi-jinja is already waiting to greet the mikoshi of Yasaka-jinja on the border of Koshigoe. However, parish representatives of Yasaka-jinja and Koyurugi-jinja exchange greetings in front of Ryukou-ji temple which is located outside of Koshigoe. Both mikoshi are paraded around Koshigoe and afterwards reach Koyurugi-jinja. Then, the mikoshi of Yasaka-jinja returns to Enoshima, while the mikoshi of Koyurugi-jinja goes only part of the way.

    (View PDF for the rest of the abstract.)

  • 吉川 幸宏
    繊維学会誌
    2013年 69 巻 6 号 P_196-P_199
    発行日: 2013/06/10
    公開日: 2013/06/12
    ジャーナル 認証あり
  • 本多 健一
    人文地理
    2012年 64 巻 1 号 1-18
    発行日: 2012年
    公開日: 2018/01/24
    ジャーナル フリー

    This paper considers the relationship between festivals and their surrounding regional societies by investigating the realities of urban festivals in the late early-modern period in Kyoto. The paper focuses specifically on the Imamiya-matsuri festival, celebrated in the Shinto shrine of Imamiya. The early modern urban festivals were held collectively by local communities (mainly neighborhoods) that became core organizations. While these communities cooperated with each other, there were also cases of unequal hierarchies that resulted in rivalry between the communities. Following this fact, this paper focuses on “manners in which people and organizations participating in the festivals as well as their activities are related through spatial expansions in related regions,” defined here as the “spatial structure of the festivals.” In addition, considering the realities of the local communities in early modern Kyoto, I set up a three-tiered regional scale using the macro-meso-micro model, and sought to understand the spatial structure of the festivals at each level.

    As a result of the examination, the following characteristics of the spatial structure of the early modern festivals became clear: First, it is not sufficient to study the spatial structures of these festivals solely as planar multi-layered structures as was done in the past. This is because each region possesses complex stratifications in which realities of such relationships as hierarchy, cooperation, and rivalry differ. Next, as the regional scale progresses from the macro to the micro, we see a strengthening of the “magnetism” in which the local communities (neighborhoods) that organized the festivals cooperated with or were in rivalry with one another. It also became clear that within these relationships of rivalry, there existed predetermined harmonious relationships that appeared regularly every year and served to enliven the festivals when seen from a broader perspective. At the same time, there also existed antagonistic relationships that appeared spontaneously and caused intense confrontation. The latter type of rivalry was included implicitly within hierarchical relations.

    In the future, it will be necessary to conduct other case studies and discover more universal principles regarding the relationship between festivals and their surrounding region/regional society.

  • 黒川 朋広, 中村 攻, 木下 勇
    ランドスケープ研究
    1995年 59 巻 5 号 245-248
    発行日: 1996/03/29
    公開日: 2011/07/19
    ジャーナル フリー
    本研究では千葉県佐原市の山車祭りを事例に祭礼における都市空間の使われ方の変遷を見た。その結果以下の点が明らかになった。古い市街地の狭い道路も山車の通行の見せ所の舞台となっており, 都市の変容とともに電線などの障害が生じてもそれを克服する工夫が見せ場ともなっていたように, 都市の変容に合わせて祭礼の工夫がなされてきた。が, モータリゼーションや商業構造の変化といった大きな変化は祭礼における空間利用の意味をも変えつつある。祭礼における空間利用には歴史的にもまた人の関わりという面でも多義的な意味が内在している場合もあり, そのような場の意味を再評価しながら祭礼を都市空間の整備に活かしていくことが必要である。
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