本稿では,法華験記において神祇の登場する説話に対して,どのような神仏習合理論の影響があるかを検証した.神仏習合理論は,
護法善神
説,神身離脱説,本地垂迹説の三つに分けられる.まず,奈良時代に,
護法善神
説と神身離脱説が広まる.
護法善神
説では,神は仏法を保護する護法神とされる.一方,神身離脱説では,神は衆生と同様,迷える存在であり,受苦の身を脱するため仏法の力により救われるとされる.平安時代になり,本地である仏・菩薩が衆生を救済するために神として現れるとする,本地垂迹説が登場し,徐々に神仏習合理論の主役となる.
検証の結果,社格の高い神には,
護法善神
説が適用されている一方,社格の低い神には,神身離脱説が適用されていることが確認された.本地垂迹説については,その影響を受けた説話はなかった.しかし,同一の神祇に,
護法善神
説と神身離脱説の二つの理論が適用されていることもあり,神の分類は,単純ではなく,多層的である.
抄録全体を表示