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クエリ検索: "軍隊"
16,287件中 1-20の結果を表示しています
  • 難波 和明
    組織科学
    1997年 30 巻 3 号 44-50
    発行日: 1997年
    公開日: 2022/07/22
    ジャーナル フリー
     軍事用語としての支援は,さまざまな場合に用いられる.軍の部隊は,直接戦闘部隊と支援部隊にわけられ,しだいに支援部隊の比重がたかまっている.西側諸国の
    軍隊は支援重視型の軍隊
    ということができ,ロシアの
    軍隊は中央統制型の軍隊
    であるといえる.この違いは,政府または支配者が自国の
    軍隊
    を信用できるかどうかによると思われる.次に支援―被支援関係が成り立つためには,相手を信用できることが必要であり,相手を信用できなければ,相手の自由を制限し,自立性を低くする統制,服従になる.これは,支援を考察する際の重要な点であると思われる.
  • 「軍隊起源説」の再検討
    *鈴木 秀人
    日本体育学会大会予稿集
    2016年 67 巻
    発行日: 2016年
    公開日: 2017/02/24
    会議録・要旨集 フリー

     我が国の運動部に見られる「体罰」や「しごき」といった暴力的行為のルーツとして従来語られてきた所謂「

    軍隊
    起源説」には、1930年代にミリタリズムの影響で運動部が変容していったとする戦前起源説と、戦後に
    軍隊経験者が運動部に軍隊
    の行動様式を持ち込んだとする戦後起源説がある。本研究者による戦前・戦後期の運動部経験者に対するインタビュー調査等では、その2つとも当てはまらない旧制高校、2つとも当てはまる私立大学予科、戦前説のみ当てはまる師範学校等々、その実相は多様で複雑である。本研究では、「
    軍隊
    起源説」のように歴史上のある時点に起源を設定し、その一点から現在の問題状況が生起したと把握する理解を退け、かかる俗説による説明を日本の社会はなぜ共有、或いは許してきたのかを、戦後から高度経済成長期における「戦中派」の意識の変容を焦点に考察する。そこでは、
    軍隊
    経験に積極的な意味が見出されていく時期に、「戦中派」のスポーツ指導者が自身の
    軍隊
    経験とスポーツを結びつける言説が表明されていくことに注目する。

  • 大日方 純夫
    ジェンダー史学
    2006年 2 巻 21-33
    発行日: 2006年
    公開日: 2011/10/11
    ジャーナル フリー
    Early in its establishment, the modern Japanese state introduced draft and schooling systems and made it obligatory for all of its subjects to get military training and to become educated. When incorporating a gender perspective, the difference between the two is obvious. While schooling was for both men and women, the army was only for men. Discussion of the "myth of the National Army" or the "disciplining the subjects" without recognizing this crucial difference might mistakenly reproduce another "myth."
    This article attempts to clarify the structure of masculinity by focusing on the Japanese army after the Russo-Japanese War. Masculinity was constructed in daily life in military barracks. This masculinity was "shown" and "tested" in actual battlefields. At the same time, the soldiers were expected to realize the "men's duty." In the Sino-Japanese and the Russo-Japanese Wars, the soldiers' masculinity was scrutinized, converging on "Yamato Damashii (the Japanese Spirit)" and "Bushido." The new "Bushido" that emerged after the Sino-Japanese War was incorporated in the Japanese military as its spiritual core. The masculinity that was constructed and emphasized in this way contributed to the emergence of extreme irrationality and spiritualism in the "Imperial Army."
    The "Imperial Army" depended on the extreme spiritualism to compensate for the scarcity of materials with which to pursue the war, placing too much burden on the concept of masculinity. The spiritualism nurtured "Yamato Damashii" and "Bushido" in the military. At the same time, a kind of familism was introduced into the Japanese army after the Russo-Japanese War. That is, barracks were likened to the family and the military discipline and spirit were fostered through "domestic education." Further, the military strengthened its interference into the national school system after the Russo- Japanese War and watched over the thorough infiltration of militaristic patriotism ("Chukun Aikoku") among students. The concept of masculinity was instilled into the minds of both men and women through ordinary education. Men should become soldiers and discard their lives for "royalty and courage." Such masculinity was highly praised and "Bushido" was utilized to encourage the spirit.
  • 新井 博
    体育学研究
    2004年 49 巻 6 号 573-582
    発行日: 2004/11/10
    公開日: 2017/09/27
    ジャーナル フリー
    The purpose of this paper was to clarify the situation in the Department of Defense of Austro-Hungary, which dispatched Major Theodor von Lerch to Japan in 1910. The historical materials referred to were the official documents saved at the General Staff Office in Vienna and the articles left in Japan by von Lerch. The results of this study can be summarized as follows: (1) As a task in the General Staff Office in Vienna, von Lerch had started to study the conditions of the Army in the Far East from 1906. (2) The General Staff Office in Vienna attempted his dispatch to investigate the conditions of the army in three countries on the eve of World War I. (3) The Ministry of Defense in Austro-Hungary decided to dispatch von Lerch to Japan for the benefit of the army and his advantage in carrying out the assigned tasks. However, von Lerch himself had an interest in Japan. (4) The Ministry of Defense in Austro-Hungary communicated with the Ministry of Foreign affairs and its military attache in Japan and China, requesting that it enter into negotiations to accomplish the dispatch of von Lerch. (5) von Lerch's wish to be allowed to study on an assignment with the Japanese Army was accepted by both the Japanese and Chinese governments as a result of ten months of negotiations.
  • 「軍隊起源説」の再検討(その2)
    *鈴木 秀人
    日本体育学会大会予稿集
    2018年 69 巻
    発行日: 2018年
    公開日: 2019/01/18
    会議録・要旨集 フリー

     暴力的行為(体罰やしごき)が繰り返されてきた運動部の過去を振り返ると、それを行使する側の問題を問う必要があることは勿論であるが、結果的にそれを長期間にわたって許してきた側の問題を問うことも必要ではないか、というのが本研究の根底にある問題意識である。

     暴力的行為を許してきた側を問う視点として発表者が着目してきたのは、かかる行為とその行使の基盤となっている監督と選手間や上級生と下級生間の封建的な上下関係の起源を旧

    軍隊
    の行動様式に求める「
    軍隊
    起源説」という俗説である。

     発表では、当の

    軍隊
    が消滅してしまった後々まで、
    軍隊
    に起源があるとされる行動様式がなぜ運動部の中で継承されたのかを説明できないという弱点を持つにもかかわらず、我が国の多くの人々がこの説を共有してきた理由を明らかにし、暴力的行為を許容してきた側に見られる問題を新たに提起する。

  • 野上 尚志
    岡山醫學會雜誌
    1918年 30 巻 344 号 795-854
    発行日: 1918/09/30
    公開日: 2009/08/24
    ジャーナル フリー
  • 堀 慧
    應用獸醫學雑誌
    1934年 7 巻 11 号 664-667
    発行日: 1934/09/20
    公開日: 2008/10/24
    ジャーナル フリー
  • 上原 專録
    社会学評論
    1951年 2 巻 1 号 106-107
    発行日: 1951/05/20
    公開日: 2009/11/11
    ジャーナル フリー
  • 予科練の戦友会と地域婦人会に焦点を当てて
    清水 亮
    社会学評論
    2018年 69 巻 3 号 406-423
    発行日: 2018年
    公開日: 2019/12/31
    ジャーナル フリー

    軍隊
    を経験した人々が戦後社会の形成にいかに関わっていたかは歴史社会学の重要な探求対象である. 本稿はその一端を戦友会の記念空間造成事業の担い手から考察する.

    事例として, 旧海軍航空兵養成学校予科練の戦友会の戦死者記念空間の造成過程を取り上げる. 予科練出身者は総じて若く, 社会的地位も高くなかったにもかかわらず, なぜ大規模な記念空間の造成を比較的早期に達成できたのか. 先行研究は, 集団が共有する負い目といった意識面から主に説明してきた. これに対して本稿は, 各担い手が大規模な事業を実現しうる資源や能力などの社会的な力を獲得していく, 戦前から戦後にかけての過程を, 特に

    軍隊
    経験に焦点を当てて探求する.

    事業を主導した乙種予科練の戦友会幹部は, 予科練出身者の独力のみならず, 軍学校時代に培われた年長世代の教官との人脈を起点としつつも,

    軍隊
    出身者に限らない政財界関係者とのネットワークから支援を引き出していた. 戦友会集団の外部にあたる地域婦人会のリーダーは, 戦時中の軍学校支援の経験等を背景として, 造成事業において組織的な行動力と, 戦友会内部を統合する政治力を現地において発揮した.

    本稿は記念空間造成事業の大規模化の説明を通して, 負い目という意識の「持続」を重視する先行研究に対して, 軍学校や婦人会などの組織における

    軍隊
    経験を背景とした資源や能力の「蓄積」という説明図式をオルタナティヴとして提出した.

  • 内海(宮城) 恵美子
    平和研究
    1998年 23 巻 55-62
    発行日: 1998/11/20
    公開日: 2024/06/05
    ジャーナル フリー
  • 軍隊と軍事文化の人類学
    福浦 厚子
    日本文化人類学会研究大会発表要旨集
    2017年 2017 巻
    発行日: 2017年
    公開日: 2017/05/26
    会議録・要旨集 フリー
     本発表の目的は
    軍隊
    と社会との関係を、民軍関係の側面から文化人類学的に検討することによって、日常に埋め込まれた
    軍隊
    や軍事文化の関わる諸事象が我々とどのような関係にあるのかを明らかにすることにある。とくに今回は自衛隊の婚活に着目し、民間雑誌や婚活パーティに関わる人びとへの聞き取りをもとに、婚活を介した自衛官の自己や他者の表象から現実とのギャップや婚活の当事者について問う。
  • ―19世紀植民地インドにおける英国人兵士に対する結婚許可制限―
    上杉 妙子
    日本文化人類学会研究大会発表要旨集
    2015年 2015 巻
    発行日: 2015年
    公開日: 2015/05/13
    会議録・要旨集 フリー
    本発表は、19世紀の植民地インドに駐留していた英国人兵士を例にとり、婚姻区分(独身/既婚の別)と
    軍隊
    で認識されたり期待されたりする兵士の男性性について論じる。英国人部隊では19世紀後半以降、独身兵士の男性性と既婚兵士の男性性という複数の男性性が認知されるようになり、従前の結婚制限が緩和された。近代の
    軍隊
    における役割の構造化は、婚姻区分が作り出す複数の男性性を組み込みながら展開していったのである。
  • 戦後沖縄における米軍の社会教育政策と琉米文化会館の活動
    森田 真也
    日本文化人類学会研究大会発表要旨集
    2011年 2011 巻 SA3
    発行日: 2011年
    公開日: 2011/05/20
    会議録・要旨集 フリー
     戦後沖縄は、1972年の日本本土復帰まで米軍統治下にあった。しかし、文化人類学において
    軍隊
    が直接的な研究対象とされたことは少ない。本発表では、第一に戦後沖縄に米軍支配が与えた社会的影響について、第二に米軍の政策に沖縄の人々がどのような形で接し、どう捉えたのかについて、主に米軍の社会教育政策の一つである琉米文化会館の事例から考察する。そして、
    軍隊
    と社会の相互規定的な接合の在り方について検討していく。
  • 小島信夫「星」論
    泉 渓春
    昭和文学研究
    2023年 86 巻 107-121
    発行日: 2023年
    公開日: 2023/11/11
    ジャーナル フリー
  • 城丸 章夫
    日本教育学会大會研究発表要項
    1974年 33 巻 149-
    発行日: 1974/09/01
    公開日: 2018/04/20
    研究報告書・技術報告書 フリー
  • 福來 友吉
    心理研究
    1912年 1 巻 1 号 63-75
    発行日: 1912/01/01
    公開日: 2010/07/16
    ジャーナル フリー
  • 平和研究
    1989年 14 巻 35
    発行日: 1989/11/10
    公開日: 2024/06/05
    ジャーナル フリー
  • 木全 春生
    應用獸醫學雑誌
    1940年 13 巻 2 号 83-87_2
    発行日: 1940/02/20
    公開日: 2008/10/24
    ジャーナル フリー
  • 梁 敏玲
    社会経済史学
    2013年 79 巻 3 号 333-352
    発行日: 2013/11/25
    公開日: 2017/05/17
    ジャーナル フリー
    本稿は,広東省の省城広州を事例とし,「城防」(城壁都市の守備・治安維持)という面から清代城郭都市の一端を明らかにしようとするものである。帝政時代の中国では,一般に官庁所在地は城壁によって囲まれており,行政拠点である城の守備を目的として
    軍隊
    ・防衛施設が設置されていた。清代の広州城には,八旗・緑営の双方が駐屯し,更に緑営の中でも,一般緑営軍制の一部として各城に配置される城守協のほか,八旗将軍直属の緑営
    軍隊
    や,広東巡撫(1746年から両広総督も広州に移駐)及びその直属の緑営
    軍隊
    も広州城に駐屯していた。城防は異なる系統の
    軍隊
    によって行われており,諸系統が各自の管轄区域を持ち,互いの間に直接・間接の上下関係があった。八旗の緑営に対する監視・コントロールや諸系統の相互の制御・協力から見れば,このような城防は緊密に構造化された体系ではなく,むしろそれぞれが中央と結びついた各種の
    軍隊
    からなる緩い集合体であった。長い平和期の間に,柔軟性を持つ城防システム内部では,状況に対応しつつ様々な調整が行われており,その過程で,八旗の駐屯はより象徴的な存在となってきたといえる。
  • 日本の航空ショーを事例として
    福西 加代子
    日本文化人類学会研究大会発表要旨集
    2009年 2009 巻 E-32
    発行日: 2009年
    公開日: 2009/05/28
    会議録・要旨集 フリー
    日本国内に散在する自衛隊基地や在日米軍基地で毎年、航空ショーがおこなわれている。航空ショーでは、地上での戦闘機への試乗や、飛行展示などをメインとして、自衛隊や米軍の地域社会での活動の紹介や、軍用機の技術を幅広く展示している。本発表では、2008年に日本各地でおこなった、航空ショーでのフィールドワークをもとに報告し、航空ショーにおける軍事力展示の位置づけを示す。
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