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クエリ検索: "辰馬考古資料館"
11件中 1-11の結果を表示しています
  • 辰馬悦蔵商店資料室
    日本釀造協會雜誌
    1983年 78 巻 4 号 280
    発行日: 1983/04/15
    公開日: 2011/11/04
    ジャーナル フリー
  • 里浜貝塚1(骨角器)
    加藤 俊吾
    大阪歴史博物館研究紀要
    2016年 14 巻 79-98
    発行日: 2016年
    公開日: 2022/05/21
    研究報告書・技術報告書 フリー
  • *柴田 将吾
    人文地理学会大会 研究発表要旨
    2022年 2022 巻 206
    発行日: 2022年
    公開日: 2022/11/30
    会議録・要旨集 オープンアクセス
  • 西川 寿勝
    日本考古学
    1999年 6 巻 8 号 87-99
    発行日: 1999/10/09
    公開日: 2009/02/16
    ジャーナル フリー
    弥生時代の墳墓や古墳から発見される舶載鏡は大陸のどこからもたらされたのか。私は中国出土鏡について,地域ごとに鏡式と組成(発見頻度)を分析した。その結果,わが国出土の鏡群は中国のどの地域から発見される鏡群とも合致しなかった。しかし,楽浪郡地域(北朝鮮平壌付近)発見の鏡にかぎり,鏡式と組成ともにほぼ合致した。
    鏡は楽浪郡など辺境の地でも製作されたのだろうか。後漢~魏の都だった洛陽を分布の中心にもつ四鳳鏡を例に,分布の中心地域で発見される四鳳鏡と分布の辺縁部で発見される四鳳鏡を比較した。すると,分布の中心で発見される鏡は典型的な紋様や構成要素をもっ典型種鏡であることに対し,分布の辺縁部には紋様や構成要素に欠落や変更のある亜種鏡が多数存在した。四鳳鏡に限らず他の鏡式にもそれぞれの亜種鏡が抽出できる。このことは中国各地に鏡工人が存在し,鏡をつくっていた可能性を示す。楽浪郡地域発見の鏡にも中国に典型種鏡をもつ亜種鏡が多く存在した。この地でも活発な鏡生産があったことを解き,楽浪鏡を設定した。楽浪鏡はわが国に多数舶載され,一部は紋様や銘文が同一の鏡もみられた。
    次に,正倉院の鏡を中心に唐式鏡を概観した。そして,金銀の平脱・象嵌や螺鈿などによる宝飾鏡,貼金・鍍金の宝飾鏡,精緻な紋様の大型鏡,踏み返しにより量産される中・小型鏡など,鏡は格付けできることを示した。最上位に格付けできる宝飾鏡は戦国・前漢時代の王墓をはじめ,各時期のものがある。鏡の格付けは鏡の普及段階から成立していたことがわかる。
    最上位の鏡が王の鏡として格付けできるなら,魏王から邪馬台国女王に下賜された鏡にも最上位の鏡が含まれていた可能性がある。しかし,卑弥呼の銅鏡と推定される三角縁神獣鏡は宝飾がなくつくりも粗い。
    私は卑弥呼に下賜された銅鏡はすべての鏡が等質に作られたとは考えず,卑弥呼の手元に残すべき最上位に格付けできる宝飾鏡がいくつか存在したと推定する。この宝飾鏡は都洛陽で製作されたものである。しかし,宝飾鏡を見本にして配布用の三角縁神獣鏡が量産されたとすれば,その製作地は洛陽に限る必要はない。一部の三角縁神獣鏡は紋様や技法に楽浪鏡と極めて深い関係がある。私は三角縁神獣鏡が楽浪郡で創出されたと推測する。そして,三角縁神獣鏡は卑弥呼からさらに下位のものに分配されたと考える。
  • 平尾 良光
    RADIOISOTOPES
    2008年 57 巻 11 号 709-721
    発行日: 2008年
    公開日: 2008/11/28
    ジャーナル フリー
    大分県大分市の16世紀末における大友氏の遺跡から発掘された鉛や青銅製品に関して,材料産地の推定という研究のために鉛同位体比法が応用された。これらの資料の中でいくつかは中国,朝鮮半島,日本などの東アジア産の材料とは大きく異なった鉛同位体比を示した。この鉛同位体比は16,17世紀の長崎県の原城遺跡,熊本県の田中城址からの資料,韓国6世紀の武寧王陵からの資料にも見いだされた。また,この特別な鉛は1~5世紀頃のカンボジア,プンスナイ遺跡からも検出された。
    地域が異なり,時期が違うこれら資料に関する鉛同位体比の一致は偶然かもしれない。しかし,この地域における一つの鉛鉱山産材料の流通や交流として説明できるかもしれない。一つの推論は次のようである。すなわち,東南アジアでは前400年以降に青銅やガラス製作技術が発達した。5,6世紀に製造されたガラス製品が中国の海岸線をたどり,韓国までもたらされた。その後,16,17世紀になって,ヨーロッパ人が東南アジアに寄港し,日本へ持って行くために鉛,火薬,その他の物資を調達した。
  • 福宿 孝夫
    書学書道史研究
    1991年 1991 巻 1 号 16-29
    発行日: 1991/06/30
    公開日: 2010/02/22
    ジャーナル フリー
  • 伊丹 徹
    史学雑誌
    2004年 113 巻 5 号 602-607
    発行日: 2004/05/20
    公開日: 2017/12/01
    ジャーナル フリー
  • 松井 和幸
    史学雑誌
    2002年 111 巻 5 号 608-613
    発行日: 2002/05/15
    公開日: 2017/12/01
    ジャーナル フリー
  • 史学雑誌
    1991年 100 巻 11 号 1969-1999
    発行日: 1991/11/20
    公開日: 2017/11/29
    ジャーナル フリー
  • 植木 久
    建築史学
    2015年 65 巻 140-148
    発行日: 2015年
    公開日: 2018/06/20
    ジャーナル フリー
  • 日本列島東北部の先史時代研究から
    高瀬 克範
    日本考古学
    2004年 11 巻 18 号 149-158
    発行日: 2004/11/01
    公開日: 2009/02/16
    ジャーナル フリー
    先史時代研究のなかで,通事的な多様性のみならず,共時的な多様性までをも優劣関係のもとに評価してしまう価値観は,たとえ顕在的ではないとしてもいまなお息づいている可能性が高い。こうした評価軸のなかでは,決して積極的な位置づけがあたえられることがない地域は必ず存在しており,そうした歴史を偏見や差別,一方的な価値観の押しつけを排しながら,いかにして取り扱ってゆくべきかはいまだ解決していない大きな課題といえる。ここでは,「非文明」の評価をめぐる問題を作法としてまとめ,「文明」研究とはことなる注意点についての覚書きとした。
    「非文明」をとりあつかう際の姿勢としてまず指摘されるのは,一国史の枠組みを対象化し,それとの距離のとりかたに慎重になることである。さらに,「文明」中心の歴史叙述のなかで常識化してきた,「文明」にとって都合がよい論理に疑問を呈してゆく批判的な態度も必要である。こうした姿勢がないかぎり,「文明」を中心とした価値観のなかに埋もれた「非文明」の正当な歴史的価値を引き出すことは非常に難しくなってしまう。
    つづいて,「非文明」を扱う際の手法として指摘されるのは,物質文化の定性的な側面のみならず定量的な側面にも十分な配慮を行うこと,さらに,モノの系統性に引きずられた解釈をおこなうのではなく,実用的機能・社会的機能をふくめて,それぞれの時期・地域で機能・用途論的な分析をともなっていることである。これらは「文明」についてもあてはまるが,「非文明」では両者への十分な配慮を怠ると誤った判断を誘発しやすいという点で重要な意味を持っている。
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