1.私の研究
オーラル・ヒストリー学会発足20周年、おめでとうございます。僭越ながらご指名がありましたので、私もコメントを言うことになったんですけれども、アカデミズムの外部者としてコメントさせていただくので、今日も違う服装(着物)で来ましたのでよろしくお願いします。
まず自分のフィールドを言わないと「あの人、何をやっているんだろう」という感じだと思うので、無声映画ですけれども昭和の最初の映像(1)を見ていただきます。これは立命館大学の鈴木岳海先生が管理していらっしゃるものです。
上七軒というのは京都の北野天満宮。全国で1万3000社あるのですが、その近くで、そこの芸妓さんの映像が今、出ます。これは襟替えといって、新しく芸妓さんになった人が挨拶回りに行くところで、今出ているのは男衆(オトコシ)さんという人です。これが一体、何年かということが分からなかったんです。
これ(挨拶回り)は見世(店)出しといいまして、デビューする時のいろいろな様子、芸妓さんとかが映っていますが、もう少しすると赤ん坊が出てきます。これが一体いつの時代なのかが分からなかったのですが、いつも聞き取りをしている方がいます。来週も聞き取りをさせてもらうのですが、88歳の女性ですが、この人が「今、映っている赤ん坊は自分だ」と急に言い出しまして、これが昭和11年と分かりました。そうすると、これは無声映画ですから、いろいろな情報がありそうでないのですが一気に(花街の様子が)分かって、京都民俗学会で一連の五つの映像があるのですが、それを(まとめて)論文にしたことがあります[中原2020:41-57]。
これは、聞き取りをオーラル・ヒストリーでやらせていただいているのを重ねていって作った花街の構造です。座敷があって旦那がいて、そこからお金がどう回るかとか、外側の踊りとかをやっているところのつながりとかを、オーラル・ヒストリーを中心に作りました[中原2018:79-90]【図-1】(次頁)。
それから、これは街の様子をどこがお茶屋かというのを、オーラル・ヒストリーで聞いた。これができる前にさらにオーラル・ヒストリーをやっています。地籍調査といって、一戸一戸、どこにどういう権利者がいたかとかを調べて、経済学関係で論文(3)を書いていますが、それが下敷きになって、さらにオーラル・ヒストリーの論文[中原2018b:173-187]ができました。これに基づいてオーラル・ヒストリー学会でエクスカーションを、私が引率してやったことがございます【図-2】。
さらに今度は音楽学会に入っていたのですが、それの関係で上海の音楽院で研究発表をしました[中原2016]。もともとは明日シンポジウムがありますアカデミアシニカ、台湾の中央研究院で研究発表(1)をして、それが連続していろいろとつながっていったのですが、中国でこのように発表いたしました(2)。その途中でベトナムの方に研究発表(3)に行ったら、機内誌で「ハノイに花街が復活した」という記事(4)と出会いまして、やはりアジアに花街はずっとあったのかなと思います。
それから、これは台湾の花街を調査している時に、元特攻(5)だった人と出会ったり、これは、アイルランドで研究発表(6)をした時に「祇園小唄」(7)というのを映像とレコードで発表しようとしたら、映像とレコードが昔はバラバラだったので、映し出している映像がレコードよりどんどん先に進んでしまいます。発表している場所に日本人は3人ぐらいしかいなくて、あとはみんな外国の人だったんですけど、大合唱が起こって、結局、みんな祇園小唄を頭で覚えていた(暗記していた)ということで、こういう状況になりました。後から名刺を頂いたら、コロンビア大学とかロンドン大学の教授で本当に恐縮しましたけれども、覚えてくださっているんだなと思いました。
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