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クエリ検索: "青い山脈"
67件中 1-20の結果を表示しています
  • ――「戦後民主主義」の限界と可能性に関するジェンダー史的考察――
    千葉 慶
    ジェンダー史学
    2017年 13 巻 5-19
    発行日: 2017/10/20
    公開日: 2018/11/01
    ジャーナル フリー

    現在、「戦後民主主義」は危機に瀕しているが、わたしたちはまだ、「戦後民主主義」とは何なのか、何を受け継いでいくべきかを適切に検討できてはいないのではないか。

    本稿は、以上の問題意識に立ち、「戦後民主主義」表象の中でも、もっとも影響力を持った表象の一つである『

    青い山脈
    』を取り上げ、そこに何が「戦後民主主義」の要素として刻まれたのかを抽出し、同作品のリメイクおよび同一作者原作映画の中にその要素がどのように時代を経て、変容を伴いながら受け継がれていったのかを考察することによって、「戦後民主主義」の受容形態の一端を確認し、かつ、今何を「戦後民主主義」の遺産として継承すべきなのかを考える契機とするものである。

    青い山脈
    』が、「戦後民主主義」のエッセンスとして描いたのは、第一に「自己決定権の尊重」であり、第二に「対話の精神」「暴力否定」である。前者は、1980年代に至るまで一貫して描かれてきた。他方、後者には1960年代以降、疑義が唱えられるようになり、特に「暴力否定」についてはほぼ描かれることはなくなってしまった。ただ、これをもって「戦後民主主義」が衰退したとすべきではない。この推移は、「対話の精神」を突き詰め、より時代に見合った民主主義の作法を模索した結果ともいえるからである。

    また、ジェンダー史的観点からすると、今回取り上げた作品群には、一様に男性優位、女性劣位のジェンダー構造に固執した表現が目についた。ただし、すべてがこのような限界性に囚われているとするのは早計である。なぜならば、作品群の精査によってそれらの中に、暴力性を拒絶する男性像や、男性優位の構造を内破しようとする女性像の描写を見つけることができたからである。今、わたしたちがすべきことは、「戦後民主主義」を時代遅れのものとして捨て去ることではなく、長い年月の中ではぐくまれてきたその可能性を見出し、受け継いでいくことではないだろうか。

  • 蘭学者の聖山から観光客が越える山脈へ
    米地 文夫
    季刊地理学
    2004年 56 巻 2 号 110-114
    発行日: 2004/07/31
    公開日: 2010/04/30
    ジャーナル フリー
  • 「竜脈」から「青い山脈」まで
    米地 文夫
    季刊地理学
    1993年 45 巻 3 号 167-170
    発行日: 1993/09/30
    公開日: 2010/04/30
    ジャーナル フリー
  • 岡部 孝道
    日本ニュージーランド学会誌
    2009年 16 巻 43-46
    発行日: 2009/06/20
    公開日: 2017/04/15
    ジャーナル フリー
  • 森 英一
    昭和文学研究
    1993年 26 巻 152-153
    発行日: 1993年
    公開日: 2023/05/15
    ジャーナル フリー
  • 覆水は盆 (地) に返らないか?
    米地 文夫
    季刊地理学
    2001年 53 巻 3 号 167-170
    発行日: 2001/09/01
    公開日: 2010/04/30
    ジャーナル フリー
  • 山田 卓良
    紙パ技協誌
    1993年 47 巻 2 号 272
    発行日: 1993/02/01
    公開日: 2009/11/19
    ジャーナル フリー
  • (東京大学出版会、二〇〇〇年)
    藤岡 伸子
    比較文学
    2001年 43 巻 154-157
    発行日: 2001/03/31
    公開日: 2017/06/17
    ジャーナル フリー
  • 占領期における原節子のスターペルソナ
    北村 匡平
    映像学
    2016年 96 巻 68-88
    発行日: 2016/07/25
    公開日: 2016/08/19
    ジャーナル フリー

    【要旨】

     本稿の目的は、占領期のスターダムのなかでなぜ原節子の価値が最も高まり、どのような大衆の欲望によって彼女のペルソナが構築されたのかを、敗戦後の社会・文化的条件に即して実証的に明らかにすることにある。これまでスターを対象とする研究は映画の表象に傾斜した分析が多かったが、スター研究の視座から、スターを取り巻く言説、とりわけファン雑誌におけるイメージやテクストと映画との関係を重視し、複数のメディア・テクストにおける原節子の個性的アイデンティティ構築が、占領期のジェンダー・セクシュアリティ規範のなかでいかなる価値を形成していたのかを探究する。

     原節子は、敗戦後に求められる理想的な女性像としての「理知的」で「意志」の強い主体的なイメージを戦中から準備し、戦前と戦後の連続性を引き受けることで、占領期に最も人気の高いスターとなった。彼女の映画のパフォーマンスと、雑誌のパーソナリティに通底する他者の身体から「離れている」ペルソナは、日本女性の身体をめぐるアメリカと日本の占領の言説において、文化的価値を高めることになった。彼女は戦後に現れた敗戦の歴史的トラウマを喚起するパンパンなどの「敗者の身体」とは決して重なることない〈離接的身体〉としての理想的ペルソナを言説によって構築していたのである。本稿では、占領期という歴史的コンテクストのなかで原節子がいかに価値づけされ、欲望されているのかを分析し、アメリカへの抵抗を可能にする原節子のスターペルソナを通して大衆の戦後意識を解明する。

  • 吉岡 敏夫
    映像学
    1985年 31 巻 39-47
    発行日: 1985/03/31
    公開日: 2017/06/30
    ジャーナル フリー
  • 岐阜県恵那市役所 環境課
    風力エネルギー
    2019年 43 巻 1 号 148-150
    発行日: 2019年
    公開日: 2020/06/28
    ジャーナル フリー
  • 清水 浩昭
    家族関係学
    2013年 32 巻 65-66
    発行日: 2013年
    公開日: 2020/06/17
    ジャーナル フリー
  • 須浪 敏子
    昭和文学研究
    1993年 26 巻 153-155
    発行日: 1993年
    公開日: 2023/05/15
    ジャーナル フリー
  • 1950年代のスクリーンにおける観客の欲望モードの文化的変遷
    北村 匡平
    社会学評論
    2017年 68 巻 2 号 230-247
    発行日: 2017年
    公開日: 2018/09/30
    ジャーナル フリー

    敗戦から1950年代にかけて, 大衆娯楽として最も隆盛していた映画は, 多くの国民的スターを輩出した. この時代のスターダムにおけるスターイメージの変遷とそれを価値づける言説に, 大衆の欲望モードの変化がみられるのが1955年頃である. 本稿は, 原節子と高峰三枝子に代表される占領期的な欲望を体現する‹理想化の時代›から, 1955年以降の若尾文子を代表とする‹日常性の時代›への推移を見取り図として, 映画スターに対する大衆の欲望モードの偏差を浮上させることを目的とする.

    この転換期, 大衆の集合的欲望を最も引き受けていたのは若尾文子であった. 超俗的な美貌をもった占領期のスター女優とは異なり, 若尾文子を価値づける言説は, 「庶民的」「親近感」「平凡」であり, 大衆の‹日常性›を体現するペルソナを呈示していたからこそ彼女はスターダムの頂点にのぼりつめることができた. 本稿は, 娯楽雑誌におけるスターの語られ方を分析することによって, 経済発展だけでは説明できない言説空間の変容を捉える. そこで見出されるのは, 占領期の‹理想化›された社会を象徴するスターへの反動として, 大衆文化を具現する‹日常›の体現者を称揚する言説構成である. スターを媒介にして自己を見つめ返すようなまなざしの構造が生成する1950年代中頃, 若尾文子は「平均的」であることによって大衆の‹日常性›を演じ, 若者の「リアリティ」を体現したのである.

  • 石村 眞一
    生活学論叢
    2017年 32 巻 16-29
    発行日: 2017年
    公開日: 2021/05/14
    ジャーナル フリー

    This research explores the use of Cantilever chairs as seen in Japanese films between 1945 and 1952. These chairs were used in 19 out of 107 selected films. Several conclusions may be drawn from a comparison of the types of chairs and the scenes in which they were used in, in their respective films during World War II: 1) Two films in 1946 and 1947 depict scenes featuring Cantilever chairs in pre-war and wartime periods. 2) One may conjecture that the Cantilever chairs used in films after 1947 ware manufactured after the war; however, bamboo plywood chairs emulating pre-war design appeared more frequently than expected in post-war films. 3) When compared to films from the pre-war period, the chairs are mostly depicted in scenes within commercial establishments, especially downtown entertainment venues such as cabaret clubs and dance halls. There is, however, just one instance of the use of Cantilever chairs in wealthy family’s private residence. 4) The use of Cantilever chairs in films reached its peak in 1949 and subsequently dwindled. From this information, we can surmise that the pre-war sense of modernism prevailed until around the 1950s.

  • 中島 晋作
    映像学
    2023年 109 巻 68-88
    発行日: 2023/02/25
    公開日: 2023/03/25
    ジャーナル フリー

    本論文は、増村保造の映画に現れる空間の特殊性を考察する。増村の映画には、男女間の非対称な権力構造を内包した閉ざされた空間が頻出する。これまでの増村に関する批評では、そのような空間の持つ閉塞性を打破する存在として、俳優、特に女性の身体に着目した論考が多かった。とりわけ、増村の多くの映画で主演として存在感を放った若尾文子が、増村映画を論じる際の重心として、論者の関心を引いてきた。本研究では、増村保造の映画における、男女を閉じ込める閉ざされた空間としての「閉域」に着目し、このような閉域が映画にどのようなかたちで現前しているのかを分析する。

    まずは、『盲獣』(1969)の美術セットによる特異な「閉域」の存在に着目する。この映画と江戸川乱歩による原作小説との差異の分析を通して、映画においては閉域を満たす暗闇が強調されていることを明らかにする。また、やはり閉域の暗闇を胚胎する『音楽』(1972)においては、閉域の暗闇が、その外部空間へも拡張することを論証する。これらの映画を分析することによって明らかになるのは、増村の映画空間における暗闇の重要性である。最後に、増村保造の初期作品における暗闇の位置づけを分析することで、暗闇の「黒」という色彩が、封建的な家族制度や社会構造からもたらされた権力性を内包していたことを明らかにする。

  • 齋藤 昭
    教育哲学研究
    1983年 1983 巻 47 号 27-30
    発行日: 1983/05/15
    公開日: 2009/09/04
    ジャーナル フリー
  • 金子 勇
    社会学評論
    2005年 56 巻 1 号 16-19
    発行日: 2005/06/30
    公開日: 2009/10/19
    ジャーナル フリー
  • 山口 博
    電気設備学会誌
    2010年 30 巻 7 号 590-593
    発行日: 2010/07/10
    公開日: 2014/08/01
    ジャーナル フリー
  • 黒澤明『わが青春に悔なし』のオーディエンス
    北村 匡平
    マス・コミュニケーション研究
    2017年 90 巻 123-142
    発行日: 2017/01/31
    公開日: 2017/10/06
    ジャーナル フリー
     The idea of youth differed significantly between the prewar generation and the wartime generation, who sacrificed their adolescence in the Second World War. The crucial gap in film reception—which was actualized in visual culture in the early stages of the U.S. occupation period—can be observed by comparing the discourses from those generations with Kurosawa Akira’s No Regrets for Our Youth. The film was released at a political-cultural turning point in Japanese society; and while the young generation commended this film, the prewar generation criticized it. This paper aims to analyze why their evaluations conflicted with each other, and explore how the representation of youth— depicted by Kurosawa and embodied by star actress Hara Setsuko—functioned for the young audience.   The film’s reception by the audience is conditioned by its reading position —here, a society living through a wartime experience. In addition, their social attributes strongly influence the cultural meanings they receive from the screen. In other words, there is a gap in film experience between those who are allowed to sensibly watch films as amateurs and critics who are required to analytically watch them as experts. This paper reveals that the exaggerated and dynamic cinematic expression of youth by Kurosawa—which was prohibited during the wartime period—is affectively connected to the young generation, for whom youth was an impalpable idea. The “lost youth,” for them, was visually reconstructed as tangible and concrete through moving images and a lively cinematic body.
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