中国地方の内陸交通路は,古来広く利用されてきた.なかんずく,陰陽横断路は,両地域の地域差や近距離性から,その利用度はいっそう高かった.ところが鉄道交通時代を迎えて,その利用が一時減退したが,現代の中国地方開発の進捗に伴ない,地域開発の基幹ともなるべき横断路が再び時代の脚光を浴びてきた.この時代背景に横断路の歴吏地理的認識が,当然要望されることであろう.
本稿は近世末に時点をおき,まず,参勤交代路,鉄・銅の上納道,および塩商路を主体とした一般経済道の両面から内陸交通路を復原した.さらに高瀬舟,牛・馬背などの交通手段別分布,および各々の地理的性格を考察した.ついで東部中国地方における内陸都市を,内陸地域の政治・経済的中核地であることを指標として選出した.その結果,生野・山崎・津山・勝山・新見・若桜の各城下町が得られた.そして各内陸都市を交通形態および陰陽横断路との相互関係において類型化した.かくしてえた主要陰陽横断路と内陸都市立地との関係を,都市の機能および構造においてその関連性を把握し,さらに内陸都市の地理的特殊性の摘出を試みた。
研究結果を要約すると次のようになる。
(1) 高瀬舟湖航限界線は100mの等高線にほぼ一致する.ただし旭川・高梁川・江川などの先行性河流は,その限界を遙かに越えている。傾斜度ではほぼ1/400勾配が限界である. (2) 溯航限界点と内陸都市経済中心地とが一致する. (3) 中国山地の地形に適合した馬背移送が,牛背移送に優先する. (4) 都市立地と内陸交通路との関連において,内陸都市を類型化すると次のようになる. (A) 陸路都市(生野・若桜)と (B) 水陸路結節都市(山崎・津山・勝山・新見)に分類される.さらに陰陽横断起点に当るものをOとすると, AO型は生野・若桜, BO 型は勝山, B型は山崎・津山・新見となる. (5) 陰陽横断路と内陸都市立地との関係を,都市機能および構造上から関連性を把握すると, (1) AO型の山陰都市生野は,幕府直轄領の銀山町という特殊性から,政策的に非交通都市化され,代行交通集落森垣村の発達を促した.森垣村は銀山町経済と山陽経済との結合地に経済中心地を形成した. (2) BO型の山陽都市勝山は,山陰からの横断終着点と山陽舟運の湖航限界点との結合地に経済中心地を形成し,対山陰交通が経済中心地形成の主体をなす. (3) B型の山陽都市新見は,横断終着点とは関係なく,都市経済と高梁川湖航限界点との結合地に経済中心地を形成し,単純内陸都市的性格を強く保持している。津山はさらにこの傾向が強い。 (6) 要するに,内陸都市の経済中心地は,山陰・陽の所属地域には関係なく,優勢経済圏に支配されて形成され,都市経済の指向性を表示している。 (7) 南北塩の経済圏問題は,東西瀬戸内塩のそれにおき換えられ,これは興味ある問題であるが,既報
1)2)のためその論述はここでは省略する.
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