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クエリ検索: "KOKUA"
3件中 1-3の結果を表示しています
  • 萩原 幹子, 鈴木 希理恵
    自然保護助成基金助成成果報告書
    2023年 32 巻 220-231
    発行日: 2023/10/31
    公開日: 2023/10/31
    研究報告書・技術報告書 フリー

    コンゴ共和国北西部にあるオザラ・コクア国立公園の本部のあるンボモ村は,この数年マルミミゾウによる農業被害が悪化し,食料不足や貧困の原因になっている.農業が主要な生計手段である村で,野生生物と共存する生活を確立するため,獣害防除と収入の向上を核に村づくりに取り組む若手リーダーを養成する活動に取り組んだ.しかしゾウの作物被害や雇用問題などで国立公園と村人の関係は良好と言えず,また村にいる若者たちは学業を中断してしまったり,手に職をつける意志も無いなど,若手リーダーとなる人材を見つけるのは困難であると判明した.短期間で収穫できる作物の試験耕作実習を行い,また観光客への土産物にすることのできる絵画を描けるような才能を見出すための絵画教室,次年度に養蜂家養成塾実施を見込んだ養蜂セミナーの開催を通じて,初年度は村人の独立した収入源創出活動への種をまいた.これらの活動が,現地の慣習でもある家族単位で共同作業を行う方法で,徐々に他の家族にも普及していき,野生生物と共存していける村づくりの一助となるよう継続していく.

  • 攻玉社付属陸地測量習練所を中心として
    長谷川 博, 内山 一男
    土木史研究
    1990年 10 巻 143-150
    発行日: 1990/06/25
    公開日: 2010/06/15
    ジャーナル フリー
    攻玉社は鳥羽藩士近藤真琴[1831(天保2年)-1886(明治19年)]が, 1863(文久3年)に, 四谷坂町の自邸(近藤塾)で, 同学の士に蘭学を教授したことに初まる。近藤は当時の“富国強兵”“殖産興業”のためには、先ず海外交易と国土開発のための人材が必要と断んじ、私材を投じ、1874(明治7年)に航海測量習練所を、また1880(明治13年)に攻玉社付属陸地測量習練所を創設した。陸地測量習練所は明治17年量地と、明治21年土木科と、明治34年攻玉社工学校と改称して、土木全般を教授し、現在の攻玉社工科短期大学に至つている。
    陸地測量習練所の開設時に東京府に提出された開申書(東京都公文書館蔵)には、学科課程表(カリキュラム)や使用教科書等が示されている。
    東京大学の前身の工部大学校の土木の教育課程表(明治18年)、工手学校(明治21年創立現工学院大学)の学科課程表と比較した。
    陸軍では明治4年兵部省参謀局に、地理の偵察・地図の編成を担当する間諜隊が置かれ、これが逐次発展して、全国の三角測量・細分(部)測量を行った。明治17年「大三角測量事務」は当時の内務省から参謀木部へ管轄替えとなった。明治21年陸地測量部が独立し、その編制の中に「陸地測量官」教育のための「修技所」が設けられた。明治年間の修技所の卒業生は学生77名(高等科)生徒296名である。
    海軍は明治4年兵部省海軍部に水路局を設け、水路監督長官に柳楢悦(ならよし又はなおよし)海軍大佐(のちに少将)が任ぜられた。柳は「徹頭徹尾外国人を雇用せず、自力を以て水事業の進歩改良を期」した。水路局には発足当初から、伝習室があり、測量伝習生5名(旧鹿児島藩士)が採用されているが、特に修技所は設けられなかった。水路部管掌の東京飯倉の海軍観象台(旧東京天文台)は明治21年に文部省に移管された
  • Palliative Care Research
    2018年 13 巻 Supplement 号 S256-S537
    発行日: 2018年
    公開日: 2018/06/15
    ジャーナル フリー
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