土木史研究
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明治初期の陸地測量教育
攻玉社付属陸地測量習練所を中心として
長谷川 博内山 一男
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1990 年 10 巻 p. 143-150

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抄録

攻玉社は鳥羽藩士近藤真琴[1831(天保2年)-1886(明治19年)]が, 1863(文久3年)に, 四谷坂町の自邸(近藤塾)で, 同学の士に蘭学を教授したことに初まる。近藤は当時の“富国強兵”“殖産興業”のためには、先ず海外交易と国土開発のための人材が必要と断んじ、私材を投じ、1874(明治7年)に航海測量習練所を、また1880(明治13年)に攻玉社付属陸地測量習練所を創設した。陸地測量習練所は明治17年量地と、明治21年土木科と、明治34年攻玉社工学校と改称して、土木全般を教授し、現在の攻玉社工科短期大学に至つている。
陸地測量習練所の開設時に東京府に提出された開申書(東京都公文書館蔵)には、学科課程表(カリキュラム)や使用教科書等が示されている。
東京大学の前身の工部大学校の土木の教育課程表(明治18年)、工手学校(明治21年創立現工学院大学)の学科課程表と比較した。
陸軍では明治4年兵部省参謀局に、地理の偵察・地図の編成を担当する間諜隊が置かれ、これが逐次発展して、全国の三角測量・細分(部)測量を行った。明治17年「大三角測量事務」は当時の内務省から参謀木部へ管轄替えとなった。明治21年陸地測量部が独立し、その編制の中に「陸地測量官」教育のための「修技所」が設けられた。明治年間の修技所の卒業生は学生77名(高等科)生徒296名である。
海軍は明治4年兵部省海軍部に水路局を設け、水路監督長官に柳楢悦(ならよし又はなおよし)海軍大佐(のちに少将)が任ぜられた。柳は「徹頭徹尾外国人を雇用せず、自力を以て水事業の進歩改良を期」した。水路局には発足当初から、伝習室があり、測量伝習生5名(旧鹿児島藩士)が採用されているが、特に修技所は設けられなかった。水路部管掌の東京飯倉の海軍観象台(旧東京天文台)は明治21年に文部省に移管された

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