第1は, 国民一般の
世論
である。第2は, 一般教員層の「
世論
」である。そして第3は, 学校教育の世界で指導的地位にある管理職層の「
世論
」である。「数」の点では, 第1の国民
世論
が最も大きく (有権者約7,000万人), 第2の「
世論
」は中規模 (小・中・高の教員総数は約100万人) であり, 第3の「
世論
」は少数派である (小・中・高の校長数は約4万人)。一方, 1人あたりの意見の「力」では, 逆に指導層の「意見」が最も大きく, 一般教員の「意見」が中間で, 国民の意見は小さい。各
世論
の政策決定への影響力は, 「数」と単位意見の「力」の積によってきまると考えると, 上記の三つの
世論
は, ほぼ対等の「力」をもつことになる。
この三つの
世論
は, 前述したようにそれぞれ異なった様相を示している。学校教育界の指導層の「
世論
」は, 臨教審の教育改革にかなり期待し, その基本的方向と各具体案の多くに賛同しているとみられる。これに対し, 一般教員大衆の「
世論
」は, 概して現下の教育改革に懐疑的であり, あまり期待もしていないし, 各具体案に対してはむしろ否定的意見の方が多い。一方, 一般国民の
世論
は, 「業界」意見とは異なる性格を有している。国民
世論
は, さまざまな意見が中和されてしまうので, そう鮮明なものにはなりにくいが, 教育に関しては, 現状への不満も多く, 現状打開への国民の潜在的な関心は決して低くないと想像される。
このように異なる三つの
世論
が並立している状態が, 現下の教育改革論議の性格をわかりにくくさせ, その見通しを不透明にしているように思われる。それぞれ有力な-しかし決定的な力はもち得ない三つの
世論
は, どこに収斂してゆくのか, はたまた分裂, 拡散してゆくのか, 予断を許さないところである。
教育改革の帰趨は, 政治レベルでみれば, 「力と数」によって決まってゆくのであろうが, 事柄の性格上, それだけで結着をつけてもらいたくはない。それには, まず, 教育界 (実践と研究の両者を含む) 内部で, 教育論としての論議を重ね, 教育界内部でのコンセンサスをつくる努力が必要であろう。そして, この「業界」意見と国民
世論
のあいだで議論をつめて, 改革の理念と政策を創出してゆくのが本筋であろう。
今回の臨教審による教育改革の審議方式は, この点で, 出発点から問題を抱えていたといわざるを得ない。今からでも, 教育界内の各階各層から, 意見を汲み上げて論議の中味を豊かにしてほしい。少なくとも, 一部の意見しか代表していない「圧力団体」の意見を, 教育界の多数意見と読み違えるようなことがあってはならない。どの派, どの団体の意見が適切, 妥当と判断できるほどに, 教育界の論議はまだ煮つまっていない。教育改革に拙速は禁物である。本論文が, 現下の教育改革構築の「足場」を見直す一つの契機になれば幸いである。
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