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視点 女性研究者のリアル:その1 出産育児と不妊治療
坊農 真弓
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2017 年 60 巻 4 号 p. 275-278

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女性研究者と不妊治療

現在不妊治療真っ只中である。2010年に第1子女児を出産したが,第2子になかなか恵まれない。現在39歳である。私の場合,左側の卵管が閉塞(へいそく)しており,右と左の卵巣から交互に排卵すると想定すると(毎月左右交互とは限らない),閉塞していない人の半分しか子宝に恵まれるチャンスがない。とはいえ,他の要素にはそれほど大きな問題はなく,「原因不明の第2子不妊」に私は分類される。なぜ私が第2子にこだわるのか。それは,私自身が双子であることに起因する。私は人生の岐路でその都度,10分先に生まれた双子の姉に何でも相談してきた。私と同じように,娘も何か悩んだときに相談できる相手が必要なのではないかと思ったのだ。

私が不妊治療を開始したのは2015年2月である。このとき左側卵管閉塞が発見されたので,クロミッドという薬を服用し,通常1か月に1つしか成長しない卵胞を複数成長させ,右側の卵巣から排卵するように促す治療を開始した。最初の服用は50mgだったが,なかなか右側から排卵せず,さらにたくさん卵胞を成長させるために100mg服用した。しかし,このクロミッド,不妊治療にはよく使われる薬だが,副作用がある。私が苦しんだのは,気分の落ち込みと子宮内膜が薄くなってしまうことだった。妊娠するためには気分の落ち込み(ストレス)は極力ない方がいい。また,子宮内膜が薄くなると受精卵が着床しにくくなる。

私が不妊治療を開始した2015年度は,4月に科学技術分野の文部科学大臣表彰若手科学者賞をいただいた年だった。その前年には准教授に昇進し,幸先もよく,研究者として順風満帆な日々を送っていてもおかしくない時期である。しかし,クロミッドの服用回数と服用量の増加に伴い,春から夏になり,夏から秋になるにつれて,「私は研究者としてやっていけないのではないか」と気持ちが落ち込む日が多くなった。

キャリアアップと出産適齢期

時間を少しさかのぼろう。私が第1子を出産したのは33歳の時だった。研究者になることを志す人々は,大学,大学院とストレートに進んだ場合,27歳で博士号取得となる。博士号取得後は,数年間ポスドク研究員をすることが一般的である。ポスドク期間を終え,30歳くらいで助教や講師の職に就けたとして,それらの職には3年ないしは長くても5年程度の任期が付くことが多い。女性研究者の場合,博士号取得したてで最も知識量も多く,ポスドクとしていろいろなプロジェクトに単年度契約などで重宝される時期,また助教や講師として大学や研究機関で人に教えることを経験し始める時期が,出産適齢期と重なっている。

私の第1子妊娠もこのキャリアアップの時期に重なっていた。年齢は32歳でキャリアは5年任期の助教の2年目だった。周囲の研究者仲間にこの年数的なスケジュールを話したところ,「5年任期の前半の出産・育児は,任期の後半でリカバーできる可能性があるから,よかったんじゃないか」という意見をもらった。任期がある身分でのライフイベントによる休暇の取得は,やはり危ういものという認識が世の中にあることを気づかされる出来事だった。

研究再開

私は第1子出産時,産休・育休を合わせて5か月程度取得した。産休明け初回の会議出張では,母をベビーシッターとして実家から呼び出し,ホテルの部屋で娘(生後7か月)をみてもらい,発表の合間に部屋に戻って授乳しつつ議論に参加するというアクロバティックな体験もした。この様子をみていたあるシニアの男性研究者は,「これからもどんどん子どもを連れて会議参加し,どれだけ大変かを周りに見てもらったらいい。一つひとつの積み重ねが世の中を変える」と助言をいただいた。この出来事をきっかけに,娘を会議出張に連れて行くことが増えた。また,会議運営側がベビーシッターを付けてくださるといった出来事もあった。会議出張に子どもを連れて行くと,他の研究者の皆さんから声を掛けてもらうことが増えた。研究についてではなく,ご自身の体験についてである。男女問わず,ご自身に子どもがいるいないにかかわらず語られるそれらの体験談は,今なお何かの判断をするときに心に浮かんできて,大きな影響を受けている。

突然の不正出血

娘が1歳半を越え授乳をやめたあたりから,本格的にフィールドワークを再開した。私の研究プロジェクトは,研究対象となる人々に密着し,彼らの日常的なやりとりをフィールドワークすることを基本としている。フィールドワークを再開するということは,私にとって研究を再開するということである。3か月に及んだフィールドワークの最終日,達成感とともに多少混み合った最終電車に乗り込んだ。するとそのとき,これまで経験したことのないめまいに襲われ,頭のてっぺんから血の気がさーっと引いていく感覚を味わった。自宅に帰って確認してみると大量の不正出血だった。翌朝一番に婦人科に駆け込むと,4cm程度の嚢腫(のうしゅ)が卵巣にできていた。よりによって,フィールドワークの最終日に症状が現れるとは,体とは不思議なもので,緊張から解き放たれたときに一気に悪いところが主張し始めるらしい。

不妊治療を始めたのはこの不正出血から2年半後である。このネットの時代,いろいろと調べてみると,卵巣嚢腫は卵管を癒着させることがあり,卵管閉塞を引き起こす可能性があるという。もしかすると,育児しながら多少無理なスケジュールで再開した研究活動が現在の不妊という状況を引き起こしてしまったのかもしれない。これまでかかってきた婦人科の先生にこれらの経緯を熱弁すると,「それと不妊の関係はわからないね」とかわされることが多い。私の不妊の原因はやはり不明のままだが,こうしていろいろと因果関係を模索してしまう考え方にあるのかもしれない。

育児と裁量労働制

出産の後に待っているのは育児である。中でも授乳は研究者泣かせである。ミルクを作るために胸部に血液が集まり,脳を働かせるための血液が頭部にとどまらない。すなわち,論文を書くための集中力の維持が難しいのである。たとえば,昼食を終え,消化するために胃に血液が集まり,脳に血液が回らず眠たくなってしまう昼下がりを思い出してほしい。そういう状況が日に何度も訪れ,授乳をやめない限り1年や2年そういった日々が続く。集中力の低下は,分析結果の熟考や論文執筆のうえで非常に厄介な問題である。

私の履歴書を見てみると,ちょうど授乳していた時期にたくさん論文を書いている。しかし,後でこれらの論文を読み返してみると,直したいところがたくさんある。脳に血液がちゃんといっておらず,まとまらない議論を展開している印象である。もしかすると,育児を乗り切るための何らかのアドレナリンが私の脳内に噴出していて,私はそれを研究活動に流用し,必死に論文を書いていたのかもしれない。

私のように育児と論文執筆を両立させようとして体調を崩す女性研究者は実は多いのではないだろうか。少なくとも私の周辺にはたくさんいる。この原因の一つに裁量労働制という働き方があると私は考えている。出産育児をしている間にも届くメール,自宅にいてもスカイプでできてしまうミーティング。女性研究者は出産育児の最中でも自分の頭一つで研究を継続させることができる。

裁量労働制は,自分の裁量で出産育児と研究を両立させ,研究者として立ち止まらないように自分の毎日をデザインすることができる素晴らしいシステムである。しかしそこで問題になることがある。それは,次のポスト獲得のための履歴書や,研究費を獲得するための研究プロポーザルにはライフイベントの詳細を書かせる欄がないことである注1)

たとえば,今いる所属の面々に,裁量労働制での育休中の仕事量の減少を認めてもらったとしても,その背後に脈々と広がる研究者コミュニティーに,育児中の研究活動の減速をどのように解釈されるのかはわからない。だからこそ,若い女性研究者は出産・育児を経ても頑張り過ぎてしまうのではないだろうか。

すべてが停止する恐怖

子どもを産むためには,少なくとも数か月仕事を休む必要がある。そのことによって研究が遅れるのではないかと不安になることは否めない。特に,名前を看板にして,自分のオリジナリティーを前面に出して仕事をしている研究者は,自分が止まれば自分の代わりはおらず,すべてが停止してしまう。この恐怖にこれまでの女性研究者はどのように立ち向かってきたのか,ぜひとも周りの諸先輩方に伺ってみたい。私はいい論文を書くこと,そしてそれが学会の賞などの評価に結び付くことが,結果として妊娠・出産・育児中の大きな精神安定剤だったと思う。しかし,どうだろう。ここまで読んでくださった方はお気づきかもしれないが,私は少々頑張り過ぎたのではないだろうか。子どもを産んだ自分を休ませることなく,研究者としての自分を見失わないためにたくさんの無理を重ねてきた。その結果が現在の第2子不妊という状況だろう。

次のポストや研究費を獲得するための研究活動は,3年や5年程度の任期が付いた研究者には必須のものである。しかし,人生という軸で眺めた場合,これらの活動が,研究者としての自分,人間としての自分をどれほど豊かにしてくれるのか,正直わからない。

どうやって薬の副作用を解消したか

最初にお話ししたように,2015年に私は科学技術分野の文部科学大臣表彰若手科学者賞をいただいた。しかし,この年は不妊治療の薬の副作用で,一向に気持ちが晴れず,つらい1年となった。

この年の9月,私が所属する情報・システム研究機構 女性研究者活動支援室が主催する「女性研究者のための論文執筆合宿セミナー」に参加した注2)。この2泊3日のセミナーへの参加が,私が当時抱えていた薬の副作用による気持ちの落ち込みを一気に解消させる出来事となった。このセミナーはその名のとおり「女性研究者のために論文を執筆する時間を確保する」という目的で実施されたが,それに加えて普段では聞くことができない女性研究者の出産育児に関わる体験談を聞く時間が設けられていた。中でも,初代室長郷通子先生の体験談は素晴らしかった。海外の第一線の研究者との手紙を通した議論から,自分の研究上のオリジナリティーを確信し,お子さんたちを引き連れて海外で研究活動を展開させるなど,非常に魅力的な体験を話してくださった。研究領域やテーマは違えど,私が目指す女性研究者はこういう人だと強く感じた。先生の体験談の後,ロビーで先生を引き止めて,実は不妊治療中であること,薬の副作用で気持ちが落ち込んでいることを打ち明けた。そして,妊娠・出産・育児を経ている女性研究者だけではなく,不妊治療を実施している女性研究者にも支援の手を差し伸べてほしいことを相談させていただいた。

また,これは後日談になるが,このときの郷先生の体験談に感化され,その1週間後に締め切りを控えていた科研費国際共同研究加速基金(国際共同研究強化)に申請書を提出した。そして2016年2月に採択通知を受け,その2か月後の4月から1年間,オランダの研究所で研究活動を実施してきた。夫(研究者)は日本に残した,単身子連れ在外研究である注3)。結果として,積極的な不妊治療は1年間停止することになった。しかし,その地でオランダの女性研究者やオランダ在住の日本人女性の生き方や育児に積極的に関わるオランダ人男性の姿を目の当たりにした。そしてこの1年間,これからの研究者としての,女性としての生き方について,さまざまな刺激を受けた。また,この在外研究のおかげで1年間薬の服用をやめ,副作用もなくなり,心身ともに豊かな気持ちで日本に帰国した。

女性研究者へのエール

私の不妊治療はまだ終わっていない。不妊治療による結果はこの先も出ないかもしれない。しかし,今回私がこの記事を書いたのは,他でもないこれから妊娠・出産・育児を控えているかもしれない女性研究者へエールを送りたかったからである。ちょっとしたことでも,周りの人に相談してほしい。女性研究者のみならず男性研究者も女性研究者が抱える問題を広く受け止める心がけをしてほしい。女性研究者数の増加は,誰もが悩みを打ち明け,一緒に話し合える環境づくりに懸かっていると思う。この記事から何かを感じ,明るく豊かな研究者人生を送れる女性が,一人でも増えることを願ってやまない。

※坊農氏の「視点」は,11月号,3月号に続きます。

執筆者略歴

  • 坊農 真弓(ぼうのう まゆみ)

2005年神戸大学大学院 総合人間科学研究科博士課程修了。 ATRメディア情報科学研究所研究員,京都大学大学院情報学研究科研究員,日本学術振興会特別研究員(PD),米国カリフォルニア大学ロサンゼルス校CLIC客員ポスドク研究員,米国テキサス大学オースティン校文化人類学部客員研究員を経て,2009年より国立情報学研究所・総合研究大学院大学助教。2014年より同准教授。2016年4月~2017年3月オランダ・マックスプランク心理言語学研究所言語と認知グループ客員准教授。多人数インタラクション研究および手話相互行為研究に従事。情報処理学会理事。社会言語科学会,日本認知科学会,日本手話学会,人工知能学会,各会員。博士(学術)。受賞:2015年度科学技術分野の文部科学大臣表彰若手科学者賞,他多数。

本文の注
注1)  日本学術振興会特別研究員RPDをはじめとし,ライフイベントについて記載を求める申請書も増えている。私の経験では,2013年度総合研究大学院大学 学融合研究事業育成型共同研究支援の申請書には,出産・育児休暇の取得状況を書く欄があった。一般的な科研費や大学のポストなどに応募する際には,記載する欄がないことが多い。

注2)  女性研究者のための論文執筆合宿セミナー概要(2015年9月20~22日):http://yakushin.rois.ac.jp/records/150920ronbun/

注3)  詳しくは以下にまとめている。

坊農真弓(2017)「会誌編集委員会女子部拡大版 オランダ滞在記:Vol. 2 女性研究者の単身子連れ在外研究のあれこれ」『情報処理』vol. 58, no. 4, p. 332-334.

坊農真弓(2016)「会誌編集委員会女子部拡大版 オランダ滞在記:Vol.1 女性研究者の単身子連れ在外研究のあれこれ」『情報処理』vol. 57, no. 11, p. 1158-1160.

 
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