2007 年 28 巻 p. 181-192
先に発表者は,初期カッセル・ドクメンタや<Zen 49>をモティーフに,戦後ドイツにおける芸術学校改革の造形芸術観や芸術教育学の主要なエネルギー供給源が,1920年代の同時代芸術の洗礼を受けた年長世代や,内的亡命に耐えてきた若者世代達の表現活動にあったことを考察した。本論文では,ナチズム崩壊直後にベルリン芸術大学の教授となる現代芸術家テオドール・ヴェルナーをモティーフに,戦後第一世代教授層の芸術観の輪郭について考察する。造形表現観であり芸術教育観でもある「芸術家の芸術観」は,1920年代に苗床が用意された後,50年代に戦後芸術大学第一世代教授層によって受容された。彼等は,造形表現の中でも,戦後芸術学校改革の展開の中でも,戦後の無の時間を超えようとし,若い世代に現代的な造形表現観を伝え,<自らの表現を組み立てる必要性>を発見させようとしていた。