抄録
川端龍子を含む日本橋城東小学校高等科児童の毛筆画69枚(筆者蔵)と太田区立龍子記念館蔵の龍子の同校在学中の毛筆画約60枚を調査検討して,明治後期小学校毛筆画教育の一端を明らかにした。これら毛筆画が橋本雅邦と野村文挙の毛筆画教科書を手本とした模写であることを明らかにした。毛筆画記入の氏名,学年,画題,評価等から手本の学年配分,指導法等を分析した。いわゆるジェンダーに囚われない画題選択が同校の商業地区の特性から来ているとした。手本の拡大模写が平常的になされていた。そこから手本図の主題と構図の解釈と変更という創造的・表現的要素が毛筆画にあることを指摘した。それは臨画教育が手本の忠実な再現とする通念に変更を迫るものである。また同校で高度な図画教育が川崎与惣次と狩野太郎によってなされたことを明らかにした。