2018 年 2018 巻 94 号 p. 35-47
第一次と第二次の両大戦間期のフランスでは黒人をめぐる動きが激しかった。フランス人一般の黒人に対する視線には蔑み,恐れなどから感謝,同情といったものへの変化があった。他方,アフリカ,及び黒人についての学知は「行政官による民族学」から専門的訓練を受けた民族学者による民族学への変化もあった。1920年代のパリでは黒人による黒人向けの新聞・評論誌が次々に発行された。また,アメリカ合衆国で始まっていた黒人による新しい文学運動を担っていた作家たちの多くがパリに来,パリ在住の黒人知識人たちとの交流を深めてもいた。こういった動きを集約する形で1931年に発行されたのが,マルティニック出身の女性ポーレット・ナルダルによる『黒人世界評論』である。同誌周辺には当時の黒人知識人多くが集まり,アンティーユ,アフリカ,アメリカといった出身地域の違いを乗り越えた「新しい黒人意識」の醸成が見られたのである。
『黒人世界評論』が創刊されたのと同じ年,フランス植民地主義の栄光を世に示す祭典,国際植民地博覧会が開催され,大成功を博した。この博覧会は広大かつ多様なフランス植民地の人々の文化,生活様式について当時の学知を集結した大イヴェントであった。ポーレット・ナルダルらは植民地博覧会の展示によって黒人文化を再認識し,黒人としての自分たちの創造力,「黒人の魂」を力強く訴えた。やがて,その思想はレオポル・セダール・サンゴールやエメ・セゼールらによる新しい思想としてのネグリチュードを産み,さらには同誌廃刊後,第二次世界大戦を挟んで15年後の1947年に創刊される『プレザンス・アフリケーヌ』へと受け継がれたのである。本稿は日本ではこれまであまり知られてはこなかったポーレット・ナルダルと彼女が創設した『黒人世界評論』に光をあてようとするものである。