アフリカ研究
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初期ハラレ・タウンシップのコミュニティーと社会運動, 1935-47
アフリカ人民衆史における戦前・戦後の連続性について
吉國 恒雄
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1997 年 1997 巻 50 号 p. 19-28

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抄録

周知のように, ソールズベリー (現ハラレ) のアフリカ人政治史は第二次大戦を大きな節目とする。戦前, この都市は, 抗議や運動と無縁な「静穏さ」で知られる町であったが, 戦後には, 後のナショナリズムともつながる労働・社会運動の一大舞台となった。こうした二つの時期の非類似性にもかかわらず, 民衆史, とくに都市コミュニティーの構造に注目して観察すると, 両時期の間に一定の連続性があったことが分かる。
(1) 大不況期以前。ソールズベリー都市社会の一つの個性は, 社会諸組織の分散性,「中心」の欠落にあった。出稼ぎ労働者が創り出した社会組織は多数存在したが, それらは相互に連結するというより, それぞれ独自の小宇宙を形成した。ロケーション (後のハラレ・タウンシップ)では, 町内会が不在であり, 全住民的行事もほとんどおこなわれなかった。
(2) 1935年以降。経済復興, 都市人口の増加, 都市生活の活性といった環境の下で, 植民地当局に後押しされた原住民福祉協会の影響力が拡大した。同協会の下で, サッカー, ボクシングなどの既存の草の根活動が統合される一方, 自転車, テニスクラブや婦人会などが新たに結成された。諸クラブ, 団体は, 原住民スポーツ・ゲーム委員会に代表を送り, 活動を調整しあった。こうして, 余暇という限られた領域ではあったが, 都市コミュニティーの組織化と中央化が進んだ。
(3) 戦時下。ロケーションがタウンシップとして改造される中で, 旧い住民の集団意識が強まり, 自治を求める声が聞かれるようになった。これと平行して, 福祉協会の人気が低下し, その傘下から離れるグループが増えた。都市アフリカ人の「薫陶」を意図して発足した福祉協会であるが, 皮肉にも, その落し子であるP. パザラングら一部のコミュニティー活動家が, 南ローデシア労働党アフリカ人支部に接近し, 急進的なICU (商工組合) 元活動家C. ムジンゲリを指導者に仰ぐに至った。
(4) 戦後。都市アフリカ人政策の改悪と低賃金に反対する住民運動と労働運動が燃え上がり, 再建されたICUがその先鋒を担った。この動きは, アフリカ人都市政治の新時代の幕開けを告げるものであったが, 翻ってみれば, それは, 旧時代に静かに進行していた社会過程, すなわち一方における都市コミュニティーの組織化, 中央化と, 他方における旧いロケーション住民の結束と活動家グループの形成を跳躍台としていた。

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© 日本アフリカ学会
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